文藝春秋3月号より引用井 深 大「仕事の報酬は仕事」
天外 伺朗 (作家・元ソニー常務)
創業から約二十年を経た一九六五年、ソニーは存亡の危機に直面する。折からのカラーテレビブームに乗り遅れたばかりか、独自技術を搭載した新製品は大赤字を積み上げた。破綻へのカウントダウンが始まろうとする中、創業者で社長の井深大は何を決断し、どう乗り越えたのか。危機の前年に入社し、後にCD(コンパクトディスク)や犬型ロボット「AIBO」などの開発を主導したことで知られる天外伺朗元上席常務が、長く深く接してきた井深氏の実像を語る。
今日のMBA的な感覚でいえば、井深さんは明らかに経営者失格です。合理的でも常識的でもありません。
六四年十月の東京オリンピックを契機にカラーテレビが爆発的に売れ出したとき、ソニーはまだ対応機種を出せずにいた。他社はすべて「シャドウマスク」という技術方式を採用していましたが、ソニーは独自開発した「クロマトロン」という方式にこだわったからです。
ようやく発売にこぎ着けたのが六五年六月。ところがこのテレビは良品率が悪く、工場原価で五十万円もしたので、本来なら約三倍の百五十万円前後で売らなければペイしないのに、競合する他社製品に合わせて十七〜十八万円で売りました。しかも、さすがに「シャドウマスク」より画像が明るくてきれいだったため、人気も高かった。おかげで赤字ばかりが膨らんでいったわけです。
井深さんは社内で何かあると、創業メンバーの一人である安田順一さんのもとに来て話し込むのが常でした。「相談する」というより、一方的に安田さんに悩みを聞いてもらう、という感じです。それもヒソヒソ声ではなく、周囲にも聞こえるような大声で。当時、入社一年目だった私の実験机は、その安田さんの席の近くだったため、会社のあらゆる機密情報を日常的に知ることができました。クロマトロンの件も例外ではありません。日増しに表情が曇っていく井深さんを見るにつけ、「いよいよ潰れてしまうのか」と本気で心配した覚えがあります。 ふつうに考えれば、この危機を回避する最短の道は、クロマトロンをあきらめて他社と同様にシャドウマスク方式を採用することでしょう。カラーテレビはまだまだ売れていたし、部品も他から調達すれば済む。これによって経営は一気に立ち直ったはずです。
しかし、井深さんの口癖は「人のやらないことをやる」。この期に及んで、クロマトロンでもシャドウマスクでもない、第三の方式を開発しようと言い出したのです。これは正気の沙汰とは思えない、今から考えてもゾッとするような経営判断≠ナした。研究開発の世界は、俗にセンミツ≠ニ呼ばれます。成功するのは一千のうち三つ、つまり〇・三%程度しかないという意味です。その微かな可能性に社の存廃を賭けようというのですから、無謀としか言いようがありません。
もちろん、さしもの井深さんも、相当の度胸を要したことは想像に難くありません。後に「トリニトロン」と呼ばれる新方式の基礎実験に成功したとき、井深さんはやはり安田さんのもとに駆けつけ、「これで行ける。行くっきゃないんだ」と強く何度も繰り返しました。自身に言い聞かせ、鼓舞していたのでしょう。
結果的に、この判断がソニーを救いました。六八年に発売されたトリニトロン・テレビは爆発的にヒットし、以後約三十年にわたって会社の収益を支え続けたのです。しかも自社開発だったために、優れた技術やノウハウがすべて社内に蓄積され、また先進技術を追求する会社として対外的なブランド・イメージが向上し、そして何より、自信と誇りと情熱を持ったエンジニアが何人も育ちました。これらが、その後の成長の礎になったことは言うまでもありません。
ただし、井深さんは常々、「トリニトロンをオブソリート(時代遅れ)にする技術は、われわれが自ら開発しなければならない」とも述べていました。残念ながら、私を含めた後進がその教えを守れなかったことは周知のとおりです。
ではなぜ、井深さんはこういう大きな決断ができ、しかも成功に導くことができたのか。正直なところ、私もまだはっきりとは解明できていません。しかし、いくつかポイントを挙げることはできます。
まず、井深さんがたぐい稀な「運力」の持ち主だったことは間違いないでしょう。ここでいう「運力」とは、単純に「幸運を呼ぶ力」という意味ではなく、「逆境で踏ん張れる力」を指します。自分の運命を信頼しているからこそ、危機に際しても適切な判断ができたのだと思います。
その背景には、多くの経験の蓄積と深い洞察があります。トリニトロンの実験が成功したとき、井深さんは安田さんに向かって「ビジコンをやっていてよかったね」ともつぶやいていました。「ビジコン」とは、かつて大失敗したビデオカメラで使うための撮像管のプロジェクトのことです。その失敗したプロジェクトで育ったエンジニアたちがトリニトロンをつくり上げたのです。多くの失敗を積み上げ、人が育ち、豊な技術を社内に蓄積して、はじめて一つの成功が生まれる。したがって開発を本業とする会社は、むしろどんどん失敗しなければいけない。こんな確信が、井深さんの「運力」を下支えしていたのでしょう。
愚者の演出
そしてもう一つ、井深さんは「サムライ」を育てる名人でした。「サムライ」とは、新しいビジネスを開拓したり、困難な局面を打開したり、技術革新を推進したりできる気骨のある社員のことです。
素顔の井深さんは、まるで子供のような人でした。わがままで、何か気に入らないとプイと横を向いてしまったり、興味を失うとたちまち沈黙してしまったり。しかし社内には、「井深さんのためなら死ねる」と言って憚らないエンジニアが大勢いました。トップである井深さん自身が、部下であるエンジニアに最大限の敬意を払っていたからです。
これについては、私にも鮮烈な記憶があります。入社後すぐ、井深さん直属のプロジェクトに加わっていたときのこと。実験中の私に、井深さんはしょっちゅう声をかけてきました。最初は「うるさいオッサンだな」と思ったのですが、そんな印象はすぐに消えました。上司として部下を指導・監督するという感覚ではなく、「あなたは専門家だから、私に教えてください」というスタンスだったからです。ちょうど安田さんが井深さんの話の聞き役だったように、エンジニアに対しては井深さんが聞き役に徹したわけです。たとえ相手が私のような新入社員であっても、この姿勢は一貫していました。
敬愛するトップからこのような態度で迫られれば、部下としては必死に教えざるを得ません。だから寸暇を惜しむように勉強して、よりよい結果を出そうとした。また井深さんもそれを応援するように、「仕事の報酬は仕事だよ」とよく言っていました。いい仕事をすると、もっとおもしろい仕事ができるようになる。これこそ人生最大の喜びじゃないか、というわけです。こうしてエンジニアは純粋に探求心を燃やし、「サムライ」に育っていったわけです。 こういうトップのあり方を、私は「愚者の演出」と呼んでいます。概して自分に自信のないトップやリーダーは、部下に対して虚勢を張って「賢者の演出」をしたがるもの。しかしこれでは、部下は萎縮して伸びません。それに対して「愚者」を装えるのは、自分に自信があり、かつ部下との間に強固な信頼関係があるからです。いくら井深さんが愚者のふりをしても、誰もそのとおりには思っていません。そのクサい演技を意気に感じて、ますますこの人のためにがんばろうという気になれたのです。
実際、本人の好むと好まざるとに関わらず、社内で井深さんは神様≠ナした。例えば、ちょうどトリニトロンの開発が始まったころ、私は井深さんから、東北大学に一年間留学して小型テレビの上に乗るような指向性のあるアンテナを開発せよ、命じられました。当時の常識では不可能と思われていました。
しかしこのとき、不安におののく私を、上司や先輩は口々にこう言って激励してくれたのです。「井深さんがやれと言っているんだから、かならずできるはずだ」 励ましは嬉しかったのですが、いささか宗教的な匂いを感じて辟易した覚えがあります。私は一年で成果を出すことはできませんでしたが、さらに二年延長した結果、常識を覆して開発に成功。図らずも神様≠フ言うとおりになってしまったわけです。これは私のエンジニア人生の中で、最も独創的な成果だと思っています。
ついでにいえば、この間にスキー検定一級にも合格しました。当時のソニーには、細かな管理などせず、仕事の裁量をすべて本人に任せる鷹揚さがありました。だからこそ個々人が伸び伸びと働き、実力を余すところなく発揮できたのです。(以上)
