天外塾では、元ソニー上席常務の天外伺朗が、ソニー創業期の経営を体系化した奇跡の「フロー経営」についてお伝えしています。

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「ダライ・ラマ法王と無分別智の経営」 2012年12月5日 No.68

11月6,7の二日間、「ダライ・ラマ法王と科学者の対話」という催しが東京のホテルオークラであり、1400人の会場がほぼ満席になりました。法王のお茶目ぶりと笑い声が印象的でした。

司会の下村満子さんが何回も「輪廻転生」に話を向けるのですが、そのたびにはぐらかし、最後に「そんなことより、いまの人生を実りある方向に持っていくことが重要ではないか」と語ったのはちょっと驚きました。

周知のように、チベット密教は仏教の中でも輪廻転生を強く打ち出している宗派であり、法王自身も転生者ということになっています。
幼少期からその雰囲気の中で育ってきた法王が、それを語らず、宗教者としての発言を自制している。これは結構すごいことであり、法王の人物の大きさのあらわれでしょう。

仏教はユニバーサルではないが、科学は世界に通用する。仏教の宗教としての教義を説くよりも、その根本である「慈悲の心」を大切にし、それと科学的な発想を統合していこうという意図を感じました。
日本の人たちが「慈悲」に目覚め、アジア、そして世界に貢献していくことを少しでもサポートしたい。それを真剣に、心の底から強く願っておられるようです。

中国からひどい目にあった法王が、その中国を非難したり戦ったりするのではなく、隣国の日本に慈悲の心を広め、じわじわとアジア全体の空気を変えようとしている…私の勘ぐりすぎかもしれませんが、そんな息の長い活動をしておられるのかな、と思いました。

「ダライ・ラマ法王と科学者の対話」実行委員長の村上和雄さんは、1984年の筑波大学とフランス国営放送の共同企画「科学技術と精神世界」の主催者の一人です。世界中から物理学者、天文学者、宗教家が集まって、3日間の白熱の討論が行われました。
当時は、勃興してきた量子力学と東洋哲学が「良く似ている」ことから、宇宙や人間の謎が解明されるのではないかという期待が高まっていました。

今回の催しは、38年ぶりにその「つづき」という感がありましたが、「科学」と「宗教」のギャップは縮まるどころか、逆に開いてしまったような気がします。
法王も冒頭に、物理学者のD・ボームなどから何度も教えを受け、科学を学んだ体験を話されました。
今回の日本の科学者の発表をどう感じられたでしょうか。

私自身は、D.ボームの「ホログラフィー宇宙モデル」の「暗在系」という概念と、C.G.ユングの「集合的無意識」の仮説が「良く似ている」ことから、それを統合した概念を「あの世」と名づけ、多くの本を書いてきました。
しかしながら、「良く似ている」ことをいくら論じても科学には近づきません。

「あの雲は鯨に似ているなあ。面白いね」と書いたつもりが、「雲は鯨だ」と誤解した人が多かったようです。
それ以来、科学とは厳密に区別するために「科学的ロマン」と呼ぶことにしています。
D.ボームは、れっきとした物理学者ですが、「ホログラフィー宇宙モデル」は、科学的な仮説ではなく「科学的ロマン」です。

同じように「輪廻転生」は、一般大衆に語るときには「真実」として押し付けるのではなく「宗教的ロマン」として、ちょっと突き放して語る方が共感を呼べると思います。
チベット密教の頂点におられる法王が、この話題を避けたことは、心すべきでしょう。
もちろん、宗教としての布教を目的に語るときには、そんな気遣いは無用です。

結局、40年以上にわたって「科学的ロマン」と「宗教的ロマン」のすり合わせをおこなってきたけど、いっこうに前には進めなかった、という厳しい現実があります。
ロマンというのは、基本的に楽しむものであり、追及するものではないのです。

ごく最近私は、この40年の議論がなぜ進展しなかったかを、ようやく理解することができました。「輪廻転生」のような枝葉にあたる部分を削ぎ落して、仏教の最も根源的な教えをひとことでいえば、それは「無分別智」ということになります。

日常会話で「分別がある」というのは褒め言葉です。経験を積んで常識をわきまえ、おかしな行動をしないことをいいます。ところが仏教で「分別」というと、「物事を分け隔てて判断してしまう凡夫のあさはかさ」をいいます。
我々は普通何事も分け隔てて判断しますから、ほぼ100%「分別智」で生きています。科学は分析と検証がベースですから「分別智」から一歩も出られません。

それでは、何事も分け隔てない「無分別智」とは、いったい何なのでしょうか?
仏教では、「正」も「誤」もない、「善」も「悪」もない、「聖」と「俗」もないなど、あらゆる二元性から超越した世界を説いていますが、いまひとつピンときません。そんな世界があるなどと、とても想像できないからです。

ごく最近、「ああ、これが無分別智なのか…」と実感することがありました。
「天外塾」では、言葉の使い方や議論の仕方を教えていますが、その時に言葉が心の底まで到達したかどうかを調べるため、「O—リングテスト」という方法を使います。最近では多くの医師や歯科医が「O—リングテスト」を使っているので、かなり世の中に知られていますが、知らない塾生もいるので、最初に簡単なデモをやります。

人差し指と親指で作った輪を「O—リング」というのですが、それを他の人が引っ張って強さをテストします。
たとえば、左手にタバコを持たせると右手の「O−リング」がパカッと開きます。これは関係者の間ではよく知られているデモなのですが、よくよく考えるととても不思議な現象です。
身体はタバコが毒であることを検知している証拠だからです。タバコのかわりに、洗剤や大量の砂糖を持たせても結果は同じです。

科学的に調べようとしたら、X—線クロマトグラフィーなどの装置を用いて左手に乗っている物質を成分分析し、膨大なデータベースと付き合わせて毒かどうかを判定することになります。
物質は分析するときに破壊されますし、大変な手間と時間がかかります。
しかも「知」としての判定結果を知っていても、人間は包装などで簡単にごまかされてしまいます。

「O—リングテスト」なら、そんなややこしいことをしなくても瞬時に判定されます。しかも物質を破壊する必要もなく、包装にごまかされることもありません。
医療の現場では、患者に最も適合する抗生物質を「O−リングテスト」で見つけています。
これは、従来の西洋医学のレベルをはるかに超えています。

いずれも、私たちの意識レベルでは検知できないことを身体がちゃんと認識している、ということであり、これを「身体智」といいます。
なぜ身体にそのような能力があるのかは、まったくわかっておらず、科学的な説明はできません。
「身体智」というのは、大脳の中では爬虫類時代までに発達した「古い脳」が担当しています。あるいは意識・無意識の中では「無意識」の担当です。
それに対して、科学的な分析は大脳の中では新皮質の営みです。つまり、仏教でいう「分別智」というのは、新皮質による計算能力、判断力のことのようです。

人間は「身体智」、「古い脳の智慧」、「無意識の智慧」などで表現される「分別智」をはるかに超える素晴らしい能力を持っており、普段は発揮できませんが、「O−リングテスト」などで汲み取ることができます。
それこそが、仏教でいう「無分別智」なのでしょう。

科学が「分別智」であり、「凡夫のあさはかさのあらわれ」というと、「えっ!」と驚かれる人が多いでしょう。近代文明人は科学が最高だと考え、論理と理性ですべてを律し、その他の智慧を軽視する傾向があるからです。
過去40年にわたって、「科学的ロマン」と「宗教的ロマン」が平行線をたどったのは、双方とも「分別智」の範囲内で議論しており、「無分別智」には一歩も踏み込めていないからです。

しかしながら、医療の世界でこれほど「O−リングテスト」が盛んになってきたことは、人類が科学万能の「分別智」の枠からはみ出して、少しずつ「無分別智」を実際に応用することに目覚め始めた感があります。
私が「天外塾」でお伝えしている「人間性経営学」、「フロー経営」、「燃える集団型」マネジメントなども、理性や論理を超えた世界の話であり、よく考えると、いずれも従業員の「無分別智」を活性化する企業経営です。

従業員の「無分別智」を引き出すためには、経営者は存在するだけで何もしない、つまり「Doingの経営」ではなく「Beingの経営」が求められます。
いま天外塾で講師をお願いしているネッツトヨタ南国の横田英毅さんや、未来工業の山田昭男さんは「Beingの経営」の名手であり、本能的に「無分別智」の引き出し方を体得されています。

横田さんは、無記名の従業員アンケートを実施して、何のコメントもせずに貼りだすという方法論を説いておられますが、経営者は自分の意見を一切表現しないのに、何度も実施しているうちに、いつの間にか組織が活性化して従業員が人間的に成長します。
この方法論は、最近では天外塾でも採用させていただいております。

山田さんは社是を「よきにはからえ」とし、損得よりも社員が自分で発想して実行することを尊重しておられます。これは、かなり胆力が必要ですが、長い目でみると見違えるような強い組織に変身していきます。

横田英毅さん、山田昭男さんの特別セミナーは2013年1月と4月から、それぞれ開講します(下記参照)。ぜひ「Beingの経営」、「無分別智」を引き出す経営に触れてみて下さい。

 

天外伺朗

「尖閣問題と社会の進化」 2012年10月18日 No.67

尖閣問題は、デモはいったん収まりましたが、まだまだ根が深く、日中両国の経済に与えるインパクトは相当大きいでしょう。
これは、危機的な状態にある世界経済に対する深刻な影響さえ危惧されます。

2年前にも尖閣問題が起きましたね。日本の巡視船に衝突して逮捕された中国漁船の船長が中国に送還されたときに、私はたまたま中国に滞在しておりました。
船長が英雄扱いだったことは日本でも報道されましたが、現地報道のテレビではかなりの時間、繰り返して日中間の領土問題を扱っていました。

もちろん中国語は理解できませんが、テレビ画面にいろいろな時代の地図が出て来るので様子はわかります。
昔、遣唐使の頃には日本は中国の属国であり、アヘン戦争で中国領土が激減し、その隙に乗じて日本が帝国主義的領土拡大をはかり、第2次世界大戦でまた縮小した、という主旨のようでした。

たしかに、昔の朝貢政治というのは支配を認めるということですから、日本は中国の属国だったという中国側の主張も、それなりに根拠があります。
琉球政府も島津藩の支配下にあった時に、中国にも朝貢していましたから、先方からは支配下に見えます。
もちろん国際法上、どこまでさかのぼれるかは、中国側の主張とは違うと思いますが、解釈は微妙で、議論をすれば簡単に解決するような問題ではありません。

この中国滞在中に、何人かの中国人と話しましたが、中国政府が激しい洗脳報道をやっている事がよくわかっていました。先日の激しいデモをやった民衆とは少し違う意見を持っている中国人も結構いるようですね。
さて、今回の尖閣問題は、表面的には領土をめぐる争いに見えますが、実体は中国の内政問題であることを、すでに多くの人が指摘しています。

共産党大会の開催日程が一ヶ月もずれ込んだということは、胡錦濤から習近平への政権交代をめぐって激しい戦いが起きている証拠、ということはご存知の通りです。
10年前に胡錦濤が政権をにぎった時も、院政をたくらむ江沢民との間で、何年にもわたって暗闘を繰り広げた事は語り草になっています。
習近平は江沢民一派ですから、今回はその復讐戦です。

政権交代のたびにこのような激しい暗闘が起きることは、日本では想像しがたいですが、影響力を残して次に引き継がないと、自分が糾弾されて下手をすれば命にかかわります。
中国、韓国、北朝鮮などでは、政権を握ると非人道的、非倫理的なことが平気でおこなわれるのが常です。政治的に抑え込んでおかないと、糾弾される恐れがあるのです。
韓国で、前大統領が自殺した事件は耳に新しいと思います。

今回の尖閣問題でわかることは、経済を大きく発展させた胡錦濤の親日政策が激しい批判にさらされている、ということです。
江沢民は、我々から見ると目を覆いたくなるような、とんでもない反日教育を実行した人であり、今回のデモもその反日教育の成果です。胡錦濤は、それをゆるめて日本との間の経済交流の活性化をはかった人ですが、いままでも国粋派からは批判されていました。
つまり、今後政権が習近平に移行しても、日中関係は予断が許されない、ということです。

こう見て来ると、国とか社会には何となく進化していく道筋があるような気がしませんか・・・。
順番をつけるとすれば、日本—韓国—中国—北朝鮮、になります。進化の指標をひとつだけ上げると、「国民を洗脳しないと、国家体制を維持できない」という順です。

日本も第2次世界大戦終了まで、激しく国民を洗脳していたので、北朝鮮から日本へと、たかだか60—70年の進化です。
ほんの20年前に、日本に移住してきた韓国人が、「日本人は皆、冷酷非道と聞いていたけど、いい人ばかりでびっくりした」と言っていましたので、当時の韓国はまだ「洗脳政治」が激しかったのは確かです。
そういう反日教育が、竹島問題に反映しています。

このような「洗脳」は、人々を「依存」の残った「中期自我」という意識のレベルに押しとどめる作用があります。そのレベルの人は、国の扇動に乗ってすぐに激しいデモや破壊活動をします。
逆に、依存を脱して独立を達成した「後期自我」のレベルの人が増えてくると、国民と国家との対立が激しくなります。

人類社会の進化というのは、個人の発達や意識の成長と、1対1に対応している事を、多くの学者が論じています。
最初にそれを指摘したのは、ベトナムの哲学者TRAN(チャンと読む)ですが、発達心理学という学問を開拓したピアジェや、トランスパーソナル心理学の論客ウイルバーなどが続きました。

認知考古学という学問によれば、人類は約10万年前に言語を獲得しましたが、それは幼児では約1歳半に相当しています。
その後の人類社会の進化と、幼児が次第に自我を発達させて成人になっていくという個人の意識の成長のプロセスが、不思議によく対応しているというのです。

この理論は、原始社会から中世を経て近代文明社会までの人類社会の進化をとても良く説明していますが、それだけではなく今後の社会がどうなるか、という予想もできます。
その前提として、人類はいずれキリストやブッダのレベルまで、全員の意識が進化するという仮説があります。
キリストやブッダの意識レベルというのは、一応心理学的に調べられているので、そのレベルが中心になる時代の社会は正確に記述できます。これは、かなり先の話になります。

次の社会というと、すぐにユートピア(理想郷)を思い描く人が多いのですが、それは未来永劫、到来しません。
次の社会も、次の次の社会も、社会的な病理はしっかりと残ることが予想されています。ただ、人々の意識の変化とともに社会病理の様相が少しずつ変化するだけです。

北朝鮮、中国、韓国などより先に行っている日本でも、社会の病理は毎日、目を覆わんばかりですね・・・。
でも、ノーベル平和賞受賞者がゆえなく刑務所にいる、という理不尽さは日本にはありません。次の社会も、社会的病理という意味では、今の日本とそれほど違わないと思っていた方がいいでしょう。

今の日本社会の中心的な自我のレベルは、立派な社会人を演じることができる「後期自我」です。
そのレベルの人が、指導層に多く、人間としての成長の目標にもなっています。
しかしながら、「いい人」を演じるために抑え込んだ衝動や部分人格が無意識のレベルに蓄積されてモンスターになっています。それを心理学では「シャドー」と呼んでいます。

表面的には素晴らしい人に見えるけど、心の闇には大きなモンスターを抱えていると、モンスターから突き上げてくる衝動のため、その人たちは常に何かと戦っていないと安定しません。また、常に自己顕示をしていないと生きていけません。

いまの社会が、すさまじい競争社会になっているのも、尖閣問題で両国民が燃え上がるのも「後期自我」の特徴です。
「後期自我」というのは、戦争に向かう危険性を秘めています。

次の社会は、モンスターが少しおとなしくなった「成熟した自我」が中心になるでしょう。国家間も、個人間も競争や戦いの様相が弱まることが予想されます。
「GDP(国内総生産)」は下がり、ブータン前国王が提唱した「GNH(国民総幸福量)」が上がります。

東北にボランティアに行った若者たち何人かと会いましたが、自己顕示欲が少なく、「成熟した自我」に近づいているように感じました。
人類は確実に進化しており、社会は確実に変容しつつあり、その変容は3.11で加速されたように思われます。日本は、世界の中でもかなり進化が進むでしょう。

社会の進化に関しては、『深美意識の時代へ』(講談社)、『GNHへ』(ビジネス社)などに詳しく書きましたのでご参照いただければ幸いです。

日本がちょうど、「後期自我」中心で「GDP」至上主義の社会から、その次の「成熟した自我」中心の「GNH」を大切にする社会へと移行する時期に、尖閣問題が発生したことは、とても意味があると思います。
もしこの変容が間に合えば、戦争は回避されるでしょう。

ただし、人類の進化は若者から起きており、政治の世界は遅れています。好戦的な発言をする政治家が目立ちますが、それは、社会の上層部に「後期自我」が多い証拠です。
ボランティアに精を出している「成熟した自我」まで達している若者は自己顕示欲が薄く、なかなか国会議員には立候補してくれないでしょう。

したがって、今度の選挙でどの政党が勝っても、だれが首相になっても、この社会の変容には背を向ける政策が実行されると思われます。
おそらく、底辺からひたひたと草の根的に変容は進みます。
それが、日本全体の方向性に反映して、尖閣問題が平和的に収束できるか、かなり際どいタイミングだと思います。

 

天外伺朗

「フロー経営」と幼児体験 2012年9月13日 No.66

一般に企業経営者は事業に成功が最大の関心事であり、経営塾というのはそれを指導するのが使命でしょう。

天外塾では「フロー経営」という、ちょっと変わったスタイルのマネジメントをお伝えしていますが、従業員が内側から活性化することを目指しており、結果的には業績もよくなりますが、売上げや利益だけを追求するのではありません。

7年ほど天外塾を続けてきましたが、経営者の幼年期の体験が経営スタイルに大きく影響しているということがよくわかりました。

企業を創業したり、親から引き継いだ厳しいビジネスを成功させたりするためには大きなエネルギーが必要ですが、往々にして幼児期のつらい体験によるトラウマという、マイナスのエネルギーが推進力になります。
普通なら「よくやった」「逆境をバネに成功した」と称賛されますが、そういう経営者はそのトラウマの歪が邪魔するため、なかなか「フロー経営」を実行できません。

幼児期の大きなトラウマがあると、その後の人生もつらくなることが多いのですが、それに負けないで頑張って社会的な成功につなげていった強さはたしかに素晴らしいと思います。

しかしながら、その成功の裏側に、配偶者との不仲や離別、子どもとの葛藤、家族の病気、部下の裏切りなど、様々な問題を抱えてしまいがちです。
大きな葛藤を抱えた経営者の下で、会社の売上利益が上がっていても、従業員はあまりハッピーではないことの方が多いでしょう。

天外塾にご参加いただいた方は、その中でも、事業の成功に胡坐をかくことなく、自らの苦しみに目覚め、自分のやり方がどこかおかしいと気付いておられます。

その気づきがあれば、幼児期のトラウマを丹念にほぐすことによって、「フロー経営」に向かえます。
「フロー経営」が実現できれば、仕事を従業員に「まかせる」ことによって余裕が生まれ、本人の人生はとても軽く、楽になるし、従業員は自主性が尊重されるために、やる気が生まれ、ハッピーになります。

幼児期のトラウマは、それが要因となって次の問題を引き起こし、その問題がまたトラウマになるので、次々にトラウマの連鎖になっていきます。
トランスパーソナル心理学という新しい学問体系を樹立した、S.グロフ博士はそれを凝縮体験系(Systems On Condensed Experience)と呼んでいます。

そのトラウマの連鎖をほぐすときも、親子の葛藤から行くか、部下の裏切りから行くか、子どもの問題から行くか、順番が難しいのですが、何年か天外塾を続けているうちにだいぶ慣れてきました。このあたりの様子は、拙著『問題解決のための瞑想法』(マキノ出版)に詳しく書きました。

誰に教わる事もなく、ひとりでに「フロー経営」を実行してきた、ソニーの創業者の井深大さん、あるいは最近の経営者ではネッツトヨタ南国の横田英毅さん、未来工業の山田昭男さんなどは、幼児期に誰かに「無条件の受容」をしてもらった体験を必ず持っています。

その幼児期のすばらしい体験が、今度は自分が従業員を「無条件の受容」できる源になっているのです。
信頼され、仕事をまかされた従業員が燃えて素晴らしい働きをする、というのが「フロー経営」のミソです。

原理は簡単なのですが、普通は自分が関与しないで従業員が勝手に動くと失敗するのではないかという不安や、自分の存在が薄くなる不安、自分の貢献を誇示したい欲求などが強く、仕事をまかせることにブレーキをかけてしまいます。
あるいは、まかせたものの、経営者が心の中に「コントロール願望」を秘めていると、従業員は信頼されている、という感覚を持てないため活性化しません。

経営者が部下に仕事をまかせられない、不安を感じる。
そのひとつの要因は、従業員が活性化していないから、なんとなく失敗しそうに見えてしまうことです。
しかしながら、さらに追及すると、従業員は仕事をまかせてもらっていないから活性化していないのです。
結局、原因と結果が堂々巡りになっています。
それを断ち切るには、その経営者の幼児期のトラウマを少しずつ、少しずつ、はがしていくより仕方がないでしょう。

トラウマがあまりなく、ハッピーな幼児期を送ってきた経営者は、ほんの僅かなコツを伝授するだけで簡単に「フロー経営」に入っていけることを、9月7日(金)に終了した第2期札幌天外塾で体験しました。
そのときに、既存の経営手法を知らない方がかえって好都合なこともわかりました。

ご本人から、許可を得ましたので、そのエピソードをご紹介しましょう。

その女性の塾生は、別の事業をやっているご主人から、突然ドトールコーヒー店をやれ、といわれてしまったのです。創業時から2店舗を展開しました。
2店舗合計で月に800万と、売り上げはまずまずなのですが、利益が上がらず、アルバイトの時給は最低の705円、経営者である女性は無給のただ働き、とのことでした。
大変なだけで、何のためにやっているのかわからないので、本当はやめたいのだけど、開店の時の借金の返済があるのでやめられない、という悩みでした。

「いったいどうしたいの?」と聞くと、「まずは、自分も皆と同じ時給が欲しい。それから、アルバイトの時給を上げたい」ということでした。
経営者がアルバイトと同じ時給で満足する、というのはあまり聞いたことがありません。とても謙虚な方のようです。

これは、それほど解決が難しいケースではなく、ベテランの経営者が来たら、たちまち「ああやって、こうやって」と改善を進め、利益が上がるようにしてしまうでしょう。
でも、誰かが指示命令をしてよくなっても、従業員は成長しないし、組織は強くなりません。

彼女は、普通の主婦からいきなり経営者になったため、常識的な経営手法には通じていない様子でした。
でも、経営の常識を知らないということは、かえって抵抗なく「フロー経営」に移行でき、従業員が育ち、組織が強くなるチャンスでもあります。

そこで、こう聞いてみました。
「利益が上がるのを待って時給を上げるのではなく、まず最初に時給を750円に上げて、あなた自身の時給もそれと同じ額を受取る、と決めてしまったらどうですか。
従業員にそれを説明して、現場でありとあらゆる工夫をして、売上を上げ、リピーターを増やして、時給を上げた分をリカバーして下さい、とお願いするのです。

現場の工夫は店長にも相談せずにどんどん勝手にやってもらいます。
思いついたら即実行する、というのを徹底するのです。
結果が駄目だったら、店長に報告することなく本人の責任ですぐその試みをやめる、という約束です」

彼女は「面白そう!」と、すぐ実行しました。驚いたことに、ひとつの店舗(A店)はたちまち売上げが上がり、利益が出はじめました。
もうひとつの店舗(B店)は、その方針に店長が賛成せず、提案を抑え込んでしまったために従業員の工夫が実現せず、売り上げが逆に下がり始めました。

悪いことに、ドトールからの指導は、どう考えても旧態依然たる「管理型経営」であり、店長の許可なく部下が勝手に何かをやる事を許していなかったため、ドトールと店長が結託して経営者である彼女と対立する、という構図になってしまいました。

ところが、1ヶ月ほど経つとA店のほうから、B店へ応援部隊が自主的に来るようになり、いままで店長に抑えられていた現場の声を応援部隊が汲み上げて実行に移していったため、売上が上がり始めました。
結論的には、3カ月後にはA店もB店も大幅に売上げが伸び、利益が出ました。彼女は、即アルバイトと自分の時給を750円から780円に上げました。800円にしないで、小刻みに上げるところが女性らしいですね。

私からの、もうひとつのアドバイスは、正式会議より「井戸端会議」を重視することです。これは、「フロー経営」全般に共通です。井戸端会議は女性の方が得意ですね。

さて、このケースは些細に思われるかもしれませんが、「フロー経営」の真髄をあらわしています。
あっという間に、このドトールの2店舗ともうまくいってしまったので、私もあっけにとられましたが、経営者の女性が謙虚で素直で、「コントロール願望」がなかった、というところが成功の要因です。おそらく、幸福な幼児期を経験していると思います。

経営者が幼児期のトラウマを解消していくプロセスは、私も一緒に心が洗われますし、今回のように幸福な幼児期を過ごした経営者が、いきなり「フロー経営」に飛び込んでいくのも感動的です。
素晴らしい塾生たちに恵まれて、感謝にたえません。

以上

 

天外伺朗

「Don’t Think.Feel!」 2012年8月8日 No.65

意外と思われるかもしれませんが、企業の経営と子育てとは多くの共通点があります。
今回は、「経営者(親、教師)が従業員(子)に、知らず知らずのうちにプレッシャーをかけ、その抑圧の投影から、様々な問題行動に走る動機が湧き上がってくる」という話題です。

経営でも教育でもプレッシャーは、あまりにもあたりまえであり、誰も疑問に思っていません。むしろ世の中は、それを当然のこととして、いかに問題行動を防ぐかに心を砕いています。

企業なら、モラルを高める教育をし、しっかりとチェックできる体制を作り、不正を発見したら処罰をする、というマネジメントがおこなわれています。
チェック体制は、経営全体の中でかなりのコストを占めています。
たとえば、出張旅費精算のチェックをするためにきわめて多くの経理部員の時間が費やされています。

ところが、出張旅費精算のチェックなどのチェック体制そのものが「抑圧」になっていることは誰も気づきません。
従業員に対して「あなたを信頼していませんよ」という露骨なメッセージになっており、従業員は無意識のうちにプレッシャーを受けています。

いまの一般的な企業経営は、ありとあらゆるところで「不信頼」のメッセージを発信しており、従業員にすさまじい「抑圧」をかけています。それによる歪んだ衝動を従業員は理性で抑え、会社は莫大な費用をかけて不正をチェックしている、というマッチポンプの喜劇的な構造になっています。

この構造は、皆がやっているため誰も不思議に思っていませんが、「抑圧」のない企業経営の例を知れば納得していただけると思います。

山田昭男さんが創業した未来工業では、従業員を徹底的に信頼するかわりに、一切のチェック体制を排除してしまいました。チェック体制がないので、不正があるか無いかはわからないのですが、大方の予想に反してほとんど不正は行われていないようです。
これに関しては後で述べます。

さて、「上からの抑圧に対する憂さ晴らし」によって問題行動を起こすのは、子どもの場合でも同じです。
親や教師は、日常的にすさまじい抑圧を子どもに与えているのですが、それに気付いている人はほとんどいません。普通は、企業の場合と同じく、何が悪い事かを教えて、それをしないように、という倫理教育を行います。
その倫理教育そのものが、また新たな「抑圧」になっています。

「抑圧」につながる「しつけ」を極力避けて、子どもの自主性を尊重すると、一定の年齢で自らの内側からの倫理観をしっかり確立していくことを、多くの教育者が発見しています。
これは、山田昭男さんのマネジメントに通じるところがありそうです。

「しつけ」による外側から強制された倫理観はもろく、社会の上層部に上り詰めた人でも、ときにはとんでもない悪事やスキャンダルにまみれることがあります。
それに対して、内側からの倫理観は、はるかにしっかり強固に定着しています。
拙著『「生きる力」の強い子を育てる』(飛鳥新社)では、そういう教育をご紹介しました。

一般に、経営者でも親でも教師でも、自分の言動が従業員や子どもに「抑圧」を与えている事が自覚できていません。自覚するためには、かなり長期にわたって自らと向き合う必要性があります。

以下に示す例は、教育熱心で「サドベリースクール」という、私が上記の本で紹介した自由な教育を実践している学校に子どもを通わせている母親が、気づかぬうちに子どもに「抑圧」を与えてしまい、それが原因で盗癖が出てしまったというケースです。
FB(フェースブック)で私と母親が簡単なやり取りをした結果、盗癖はあっさり解消しました。

天外塾にご参加いただいているその塾生(母親)から、お子さんの盗癖についてご相談を受けたのですが、お子さんは全寮制の「きのくに子どもの村」という学校を希望していたのに、お母さんがさみしいという理由で自宅から通える「東京サドベリー」にしたということでした。ご本人の了承が得られましたので、FBでのやりとりをそのまま掲載します。


1.[天外]もしお子さんが希望しておられるなら、なるべくそれに沿う方がよいように思います。希望が聞き届けられないとどこかで憂さを晴らします。それから、7歳ですと論理をつかさどる脳がまだ発達していませんから、理屈を言っても何の意味もありません。
もう少し情動に寄り添う工夫が出来るといいなあ

2.[塾生]天外さん、コメントありがとうございます。
情動に寄り添う工夫とは、ん、長女の気持ちを汲んであげる、という事でしょうか。例えば「ふーん、そうなんだ、お金ほしいのね。」とその気持ちを認める、受け止める、という感じですか?

3.[天外]あまりテクニックに走らないでください。
マインドを開いて相手の情動を感じて同調する、と言う意味です。なんか、働きかけよう、働きかけようとあせっており、感じる事を忘れているんじゃないかな・・・そうだとすると、娘さんはつらいよ。むしろ寮生活の方がいいかも・・・

4.[塾生]そっか、感じるんですね。働きかけようとしたきらいは、確かにあります(>_<) 「マインドを開いて相手の情動を感じて同調する」ですね。やってみます。
ありがとうございます。以前、なぜ寮生活がいいの?と聞いたら、ママに怒られないから、と言っていました。
天外さんの読み、図星です…(。-_-。)

5.[天外]盗癖もおそらく、ママのプレッシャーが抑圧されて投影しています。ただ、本人にはそれはわかりませんから、問いただす事は絶対に避けて下さい。
寮に入ればあっという間に解消するでしょう。

6.[塾生]ありがとうございます。昨晩は天外さんからこんなコメントをいただいたよ、と家族(含長女)に報告したところ、長女からは「今度ママが怒ったら“てんげさん!”って言うからね」と言われ、笑っちゃいました。
ところで、長女から電話があり、学校から自宅まで徒歩で帰ってる、とのこと。バスで40分の道のり。
私は地図片手にナビ。ホントに歩いて帰ってこれるのか(‾◇‾;)と思いつつ「砧公園がなくなった」とか「この道、環八でいいの?」とかかってくる電話に必死で道順説明中。はぁ、何とか帰ってきてよぅ(T_T)

7.[天外]すばらしいお嬢ちゃんだね。天外が応援している、といってください。大丈夫、ちゃんと帰ってきますよ!サイコセラピー(心理療法)におなじみの方だったら、「6.」の時点で、お子さんの盗癖が解消している事がおわかりいただけると思います。
塾生(母親)には、それが読み解けなかったようなので、以下に解説をします。

普通なら、7歳の子どもは母親の傍にいたいものです。
それが、全寮制の学校に行きたいという希望をだしているということは、母親は大好きなんだけど逃れたい、という気持ちがどこかに見え、私は「抑圧」がひどく、憂さ晴らしの盗癖に発展してしまったと判断しました。

そこで、「1.」で「情動に寄り添う」というキーワードを投げかけてみました。案の定、帰ってきた反応「2.」は、「働きかけよう」、「なんとかしよう」、「コントロールしよう」という意図がとても濃厚で、ちっとも「情動に寄り添っていない」事がよくわかりました。

3.では、「感じる事を忘れているんじゃない?」という指摘を入れました。
これは、経営者でも親でも教師でも、ほとんどの人にあてはまります。頭でっかちで、論理的に考え過ぎ、相手の情動に寄り添う事が出来ていないのです。

天外塾で「天外さんのいう通りに従業員にまかせてみたけど、さっぱりうまくいかなかった」という人は、間違いなく「感じる」という事を忘れており、心の中は「コントロール願望」で一杯です。
つまり、まかせているつもりでも、明け渡していないのでちっともまかせ切れていないのです。

ドラッカーを勉強しておられる経営者は多いのですが、ときには、むしろブルース・リーに耳を傾けて欲しいものです。
——Don’t Think. Feel !——

この塾生の場合には、母娘関係は「抑圧」があるにもかかわらずとても良好で、しかもマインドがオープンだったので、私の指摘をそのまま娘さんに話しました。
話すという行為は、「自分が娘にプレッシャーをかけていた」という反省と告白を含んでいます。娘さんはそれを聞いて、「抑圧とその憂さ晴らし」の回路を断ち切りました。

バスで40分もかかる道のりを歩いて帰ってくるという事は、娘さん自身の「解消の儀式」です。私が、「大丈夫、ちゃんと帰ってきますよ!」と自信を持って言っているのは、自ら進んで実行している「儀式」の場合には、まず事故は起きないからです。

ただし、解消のプロセスも、それを儀式として行動化した事も無意識レベルの話であり、本人に聞いてもわかりません。
外から観察して推定するだけです。論理的なプロセスとはまったく違います。

なお、このように「儀式」を実行する事は、解消を定着させるために大切です。それがひとりでに出来たこの娘さんは、精神が自立しており、発達がきわめて健全です。
「サドベリースクール」での教育がとてもうまくいっているという事でしょう。企業経営でも、節目々々で「解消の儀式」を演出・実行する事はマネジメントの重要な役割です。

山田昭男さんが創業した未来工業では、昼食の食券がありません。従業員は毎月自分が食べた分を自分で申告します。山田さんは、「どうせお前らは泥棒だろうから、どんどん少なめに申告すればいい」と言い放っています。

ところが、給食会社の報告と従業員の自己申告は、毎月ピッタリ一致している、ということです。
経理も購買も出張旅費精算も、未来工業では一切チェックのメカニズムがないので、もし不正をしたかったら、いくらでもできます。たまたま食堂では給食会社からの報告があるので、不正がないことが証明されていますが、他は不正があるかないかもわかりません。

従業員にまったく「抑圧」を与えない経営をしている自信があれば、チェック機構は不要であり、莫大なコストを削減できます。
これがまさしく「奇跡の経営」です。

なお、山田昭男さんの特別セミナー3期生は、2013年4月~6月に開講します。

 

天外伺朗

「生きる力」と「自分の物語」 2012年7月12日 No.64

今年はすでに締め切られましたが、映画「地球交響曲(ガイヤシンフォニー)7番」に登場した冒険家の高野孝子さんは、ここ20年ほど毎夏、南太平洋のヤップ島で2週間過ごすツアーを主催されています。
15—22歳の若者12名ほどで、先住民に教わりながら食料の採取から、火起こし、料理、寝床作りまで彼らと同じ生活をします。

その募集要項の最初に「電気やガスや水道が止まった時、自分の命を自分で維持する力を、あなたは持っているでしょうか」と書いてあります。
今までなら見過ごしたかもしれないこの言葉が、3・11以降は現実味を帯びて響きます。ちょっとした知恵のあるなしが生死の分け目になりました。
この言葉は、単に緊急時に生き延びる知恵というよりは、それを超えた深い哲学的な意味合いを持っています。

「電気・ガス・水道」などは、文明が私たちに与えてくれているインフラです。でもインフラはそれだけに留まりませんね。
家があり、道があり、街があり、お店があり、交通手段があり、行政があり、社会があり、人々がおり、文化があり、様々な道具があります。

3.11では、そういうインフラがすべて消失するという状況が起きました。街の中を歩いていた人が、突然砂漠の真ん中に放り出されたようなものです。
あれから、もうじき1年半が経過しますが、逞しく立ち上がった人も、いまだに衝撃から立ち直れない人もいます。あれだけの悲劇ですから、簡単に回復できなくても当然です。

もし、高野孝子のヤップ島ツアーを若い時に体験した人がいたとしたら、おそらくどんな状況になっても逞しく生きていけるでしょう。
2週間のヤップ島の体験が、その後の一生を左右するほどの力になるのです。

逆に、超有名大学を優秀な成績で卒業した人のほとんどはそういう力は身についておらず、予定調和が狂うと、パニックになってしまいます。
幼少期から、勉強、勉強とプレッシャーをかけ、親も子も長い年月をかけてすさまじい努力をして、社会の中での成功のレールに乗ったつもりが、たった2週間の島の体験にも及びません。

私は、どんな状況になっても逞しく人生を切り拓いていく力を「生きる力」と呼び、『「生きる力」の強い子を育てる』(飛鳥新社)という本を上梓しました(2011年10月)。
幸いに評判はよく、幼稚園や保育園からの大量注文も入り、3刷が決まりました。

「生きる力」というのは、大脳の中では主として爬虫類時代までに発達した古い脳が担当する能力であり、新皮質が担当する「学力」とはまったく異質の能力です。
古い脳は、ヤップ島のような原始的な環境で活性化します。

いい小学校—いい大学—いい会社(役所)といったメインストリームの成功神話は、「学力」が「社会的成功」に直結しているという錯覚に基づいています。錯覚であるにもかかわらず根強くはびこっており、ほぼ社会に共通のインフラ的な価値観になっています。

私は、ソニーに42年間勤務しましたので、超有名大学を優秀な成績で卒業してきたけど、企業ではさっぱり役に立たない人を数限りなく見てきました。
つまり、3.11などといった極限状況ではなく、ごく普通の社会生活でも、「学力」はあまり役に立っていません。

実務というのは予定調和から外れる事が多いので、社会的に活躍するためには、学力よりも「生きる力」がものをいいます。
最も「学力」が役に立ちそうな技術職、研究職でもこれは同じです。授業の予定調和の中での実験と、どういう結果になるか予想もつかない実務の中での実験は、まったく別世界です。

今までの日本企業は、年功序列の温情主義のおかげで、そういう役に立たない人も何とか定年まで給料はもらえました。
最近の厳しい産業界の情勢は、もうそれが許されなくなりました。有名大学出身者が容赦なくリストラに遭っています。

子どものころから、勉強に明け暮れた人がなぜ社会の中で役に立たないのでしょうか。
それは、彼らが「自分の物語」を生きてこなかったからです。

学校では、お仕着せの授業が上から降ってくるばかりで、すべてが「大人の物語」の中にあります。ペーパーテストも理科の実験も、正解がどこかにある事がわかっており、「誰かがあらかじめ決めた物語」を必死に追うだけです。

いい小学校—いい大学—いい会社(役所)という成功神話を追う事は、「社会の物語」を生きているだけです。
勉強をして、学力や学歴を追うというプロセスの中には、「自分の物語」はありません。

ヤップ島で原始生活の中で生き抜いたり、何もないところから自ら何かを創造する体験、あるいは好きな事に夢中になってのめり込む体験をすれば、しっかりと自分自身に向き合って「自分の物語」を生きる子が育ってくるでしょう。

社会全体が大きな波乱を含み、今までのような予定調和が期待できなくなっている現在、子育てや教育の在り方を抜本的に見直す必要性を感じています。

 

天外伺朗

「岡田武史監督の挑戦」 2012年6月4日 No.63

さる5月21日(月)、NHKで岡田武史監督の番組が放映されました。
日本代表監督を退任された後、中国の杭州のチームの監督に就任されてからの活動を、長期間密着取材した密度の濃い番組でした。

日本を発つ直前の昨年12月、一緒に食事をする機会があり、抱負をうかがっていたので、ひとしお興味深く見ることができました。
岡田監督が日本代表時代から一貫して追求して来られたのが、選手が自主的に動くチーム作りです。監督の指示命令どおりにプレーするのではなく、自分で感じ、判断し、独創的なアイデイアをだして、どんどん積極的に仕掛けていく、という事です。

もちろんサッカーですから、それがチーム全体の動きとして連動しなければいけません。つまり、一人の独創的な動きを読んで、他の選手がすぐに対応する有機的なチームが理想です。
そういうチームは「フロー(ゾーン)」に入りやすくなり、奇跡を起こします。

2010年の南アW杯の日本チームは、格上のチームを破って16強入りを果たしましたが、明らかに4戦とも「フロー」に入っていました。
岡田監督は、2年間にわたって言語による指示を極力少なくして、選手たちが肌で感じ、身体で把握していくように苦心されました。

そういうやり方を私は、「燃える集団型」マネジメントと呼んでいます。
あるいは、同じようなやり方を推進しておられる福島大学の白石豊教授や白井一幸さん(現在は横浜DeNA守備コーチ)は、「叱らない、教えない、やらせない」と表現しています。

NHKの番組では、岡田監督が様々な練習方法を工夫しておられる様子が紹介されていました。たとえば、練習試合のルールで、ピッチのセンター部分はゴールまで2タッチしか許されず、サイドの部分は何回タッチしても良いことにするのです。2タッチではなかなかゴールまで行けませんから、選手たちはサイドを上手に使う事を覚えていくわけです。

コンサドーレ札幌や横浜Fマリノスを率いていた頃の岡田監督は、そんなややこしいことをせずに、直接的に「サイドを使え!」と指示していました。
そうすると選手たちはサイドを使って試合には勝つのですが、「サイドを使わなければいけない」というのが固定観念化してしまい、センターが空いていても、機械的にサイドにボールを蹴りだすようになってしまった、といっておられました。

もうひとつの問題点は、「サイドを使え!」という言葉から入っていると、選手たちはそれを考えるので、一瞬タイミングが遅れる、というのです。0.1秒を争うサッカーではこれは致命的です。

これは、岡田監督が2007年に天外塾に参加された時に、最初にお伝えしたことです。
人間は言語や論理を司どる大脳新皮質を中心に生きていますが、そこでの計算はスピードが遅すぎてスポーツには使えません。キャッチボールもバッテイングもできません。
ボールが通り過ぎても計算が終わらないのです。

全般的な状況判断や作戦には新皮質が欠かせませんが、反射的な動きが必要な時には、なるべく新皮質が働かないようにして、爬虫類時代までに発達した古い脳を活性化させるのがコツです。
よほど用心していないと、運動音痴で出しゃばりな新皮質が古い脳を支配してしまい、判断の遅れを生じます。

「サイドを使え!」と言葉で指示すると、それが新皮質に記憶され、たえずその指令で古い脳が動くようになります。
練習試合のルールを工夫して、サイドを使う事を身体で把握すれば、新皮質の計算を経由しないので瞬時に動けるようになるのです。

この事を発見したのは、テニスコーチのガルウェイで、彼は人間の中にあたかも二人の人格があるようだ、と説明し、それらを「セルフ1」「セルフ2」と名づけました。
ただし、「セルフ1」を新皮質に対応する人格、「セルフ2」を古い脳に対応する人格と読み説いたのは私の独断であり、彼は言及しておりません。

ガルウェイの方法論は、その後カール・ロジャーズの「クライアント中心療法」の「積極的傾聴」と結びついて、「ビジネス・コーチング」として大発展しました。
そのベースには、古い脳が活性化することの重要性はスポーツだけでなく、ビジネスのあらゆる局面での真理である、という発見があります。
これはいま、「天外塾」の中心課題でもあります。

さて、NHKの番組に戻りますが、岡田監督のチームは今年日本に来て合宿しました。J1チームとの練習試合であまりのレベルの違いから中国人選手たちが自信を失っていく様子、それを回復させるため岡田監督が心ならずも戦術を教えて、即戦力を強化する様子が紹介されました。

さらには、中国の他のチームとの練習試合では、1点を取ってボールを回して時間稼ぎをして勝った後、ロッカールームに全員集めてカメラは締め出されてしまうのですが、「あんなやり方をしていたら、強いチームには勝てない」と、こんこんと諭す岡田監督の声が収録されていて、とても印象的でした。

また、中国の優勝候補との試合前に若手を集めてやる気を喚起する様子、それが実ってその試合に勝つシーンで、番組の終盤が盛り上がりました。
岡田監督の活躍を心から祈念いたします。

 

天外伺朗

天外塾は2005年から開催していますが、最初の塾生の中に父親(前社長)との葛藤に悩んでおられる方がいらっしゃいました。
父親はもう15年も前に亡くなっているのですが、いまでも思い出すと体が震えるほど憎い、との事でした。

その葛藤が会社に様々な問題を引き起こしていることは明らかでした。
私は、スコットランドのフィンドホーンというコミュニテイで教わった「エムプテイ・チェア」という方法論をお薦めしました。

目の前に椅子を置いて瞑想に入り、親が座っている様子をイメージし、親から受けた様々な仕打ちを思い出し、「つらかったよ」と語りかけるのです。
それをしばらく繰り返した後、今度は静寂の瞑想に入り、「いまはもう許しているよ」と囁くと、時には親のせりふが聞こえてくる事もあります。

かなり強い憎しみのため、簡単には解消できないと思い、次のセミナーまで1カ月間、毎朝毎晩瞑想する事をお願いしました。
その塾生は、もう何十年も定期的に断食や坐禅を実習しておられる方で、この宿題を1日も欠かさずに実行されました。
そして1カ月後に、「憎しみがまったく消えた」と報告してくれました。

あまりにも劇的な効果があったので、私自身がびっくりしました。
それから、少しずつ塾生の問題を瞑想で解決する工夫をしてきました。
最近の天外塾では、単に「フロー経営」に関する知識を伝達するだけでなく、塾生の「意識の変容」を重視しています。
20名の塾生全員はフォローしきれないので、数名を選んで宿題を出しますが、宿題を実行しなかった塾生も、同じ空気を共有しているうちに、変容の準備が整います。

天外塾でお伝えしている「フロー経営」あるいは「燃える集団型」マネジメントは、いくら知識を獲得してもなかなか実行できません。
経営者の根本的な「意識の変容」がどうしても必要なのです。

いまでは、親子の葛藤だけではなく、さまざまな問題に対処するために、「情動の瞑想」「感謝の瞑想」「親殺しの瞑想」「死の瞑想」「フォーカシング瞑想」「楽しい体験の瞑想」「つらい体験の瞑想」など、7種類の瞑想法を用いています。
いずれも1カ月間、朝晩必ず瞑想しなければいけないので、意志の力が必要ですが、ただ坦々と瞑想するだけできわめてスムースに深い変容に導かれます。

「親殺しの瞑想」というのは物騒な命名であり、多くの人が強烈な抵抗感を持ちますが、上記のフィンドホーンで教わった「エムプテイ・チェア」の改良版であり、ベースはユング心理学です。
「殺し」というのは、ユングによる象徴的な表現であり、実際には瞑想中に親から受けたつらい仕打ちを思い出して、否定的な情動を開放するだけです。

親子の葛藤というのは、ほとんどの人にとって大きな問題になっており、人類全体の病理という心理学者もいます。
特に後継者問題は、経営者は自分の子どもの問題ととらえている事が多いのですが、じつは自分の親との葛藤が尾を引いており、それを解消すると解決するケースもあります。

7年間でかなりの実績が蓄積されたので、それを本にまとめました。『問題解決のための瞑想法—内なるモンスターを鎮めて人生を変える』(マキノ出版、4月21日発売)です。
18章のうち4章ほど深層心理学の解説を書いていますが、大半は実際に塾生とやり取りした対話から書き起こしており、私の本の中では最も読みやすい1冊だと思います。

瞑想になじみのない方のために、簡単に実習できるCDを付属させています。
これは、2011年7月14日に
東京で行われた、ホロトロピック・ネットワークの定例瞑想会の生録です。

私たちの心の底には、人知れず5匹のモンスター(性欲、死の恐怖、バーストラウマ、シャドー、トラウマ)が巣くっており、それらが暴れると人生に大きな問題が生じる、という深層心理学ではよく知られている理論をベースにしておりますが、長期間の瞑想で解決していくという方法論は、あまり他では聞きません。

7種類の瞑想法のイメージやモンスターたちを、大野舞さんがとても可愛いイラストにしてくれました。
さて、この本が出た事もあり、2013年に瞑想を中心にした3つのワークショップを企画しました。いずれも、天外塾の2009年以降の卒業生が対象です。

1.「フロー体験」に接地するためのインナーチャイルド・ワーク

第1講 2013年2月15日(金)(楽しい体験・つらい体験の瞑想)
第2講 2013年3月15日(金)(フォーカシング瞑想)
第3講 2013年4月19日(金)(インナーチャイルド・ワーク)

2.親子の葛藤を解消するワーク

第1講 2013年5月24日(金)(親殺しの瞑想)
第2講 2013年6月21日(金)(感謝の瞑想)
第3講 2013年7月19日(金)(リバーシング・ワーク)

3.経営者のための運力強化ワーク

第1講 2013年9月20日(金)(「死」と直面するワーク)
第2講 2013年10月18日(金)(ハイア—セルフと出会うワーク)
第3講 2013年11月15日(金)(「感謝の祈り」のワーク)

いずれも場所は東京、六本木の国際文化会館です。

1.は、「フロー」に入るための自己改造ワークです。
「フロー経営」を実行したり指導したりするためには、まず自分自身がしっかりと「フロー体験」をしていなければいけません。

しかしながら、多くの人が幼少期のつらい体験を通じて情動に蓋をしてしまい「フロー」に入れなくなっています。このワークショップは、幼児期に遡ってそれを解消します。

2.は、すでに述べたように、あらゆる人が抱えている「親子の葛藤」に対するアプローチです。
後継者問題に悩んでおられる方にお薦めです。

3.は、去年から始めている「運力強化」です。
社内手続きのために「経営」という言葉を入れてくれ、というご要望が多かったので、タイトルを変えました。
名経営者と言われるような人は、往々にして大病を経験しています。それは偶然ではなく、大病により死と直面し「意識の変容」を起こすからです。
このワークショップは、大病にならずとも同様な「意識の変容」へ向かう方向性を持っています。
できれば毎年の受講をお薦めします。

 

天外伺朗

「フロー経営」の極意 2012年3月12日 No.61

天外塾では、従業員を徹底的に信頼し、指示・命令を減らし、自主性に任せる経営を説いています。
「燃える集団型マネジメント」、「フロー経営」、「長老型マネジメント」などといった言葉を使いはじめました。

しかしながら、言葉で原理や方法論を語っても、なかなか伝わらず、最近ではむしろ受講生が「意識の変容」に向かえるように配慮をしています。
人間性が高まった時に自然に実行できる経営だからです。

何年かやっているうちに、次第に言葉の限界が明らかになってきました。
たとえば「信頼」という言葉ひとつとっても、何十頁ついやしても真意は中々伝わりません(そんなに書いたら誰も読まないネ—笑)。

たとえば、「あなたを信頼していますよ」というメッセージの裏には何があるでしょう。
状況によっては「あなたはきっといい人ですよね。絶対そうですね。だから私は信頼するんですよ」と聞こえる事もあるでしょう。

全面的に「信頼」するのではなく、条件に「いい人だったら・・・」があります。
「いい人」ではなかったら信頼できないので、心の底では「いい人」かどうかを、密かにチェックしようとしています。

これは、とても微妙な問題ですが、相手は無意識のうちに、チェックしようとしているあなたの意図を感じています。
チェックするという事は「信頼していない」という事ですから、言葉とは裏腹に相手には「不信頼」というメッセージが伝わってしまうことがあります。

いまの企業の経営は、それよりもはるかにあからさまに「不信頼」のメッセージを、従業員に片時も休まずに徹底的に伝えています。
出張旅費精算をすれば、経理は領収書の一枚一枚まで厳重にチェックしますね。
会社のあらゆる細部にチェックが働いており、従業員が悪い事をしないように監視しています。

会社側がこのように「不信頼」のメッセージを常に出しているので、従業員はそのチェックの目をかいくぐって「不信頼」に応えようとします。
企業のコンプライアンスは、年々厳しくなる傾向がありますから、この「不信頼」の連鎖はますますひどくなったようにも感じられます。

たとえ、ルールと罰則を強化して不正を防止できたとしても、この「不信頼」の連鎖は目に見えないところで、すさまじい勢いで従業員の能力の発揮を抑圧しています。

逆に、もし「信頼」のメッセージをしっかり発信できたら、従業員は必ずそれに応えます。
仕事の質は圧倒的に上がるでしょう。
ただ、冒頭に述べたように「信頼しています」というメッセージでも、往々にして逆の意味に伝わるので、これは簡単ではありません。
本当に「信頼」が伝わるためには、経営者は「無条件の受容」が出来なくてはいけません。これは、とてつもなく困難であり、実践されている例はきわめてわずかです。

天外塾では、私以外の講師として、ネッツトヨタ南国の横田英毅さんと、未来工業の山田昭男さんにお願いしております。

山田昭男さんは会社設立以来、お金の出納を女の子一人にまかせて、一切のチェックをしてきませんでした。女の子は何人も変わりましたが、当事者どうしで引き継がれるので、山田さんは預金通帳を見たこともないそうです。

普通は、社長といえども信頼されておらず、すべてのプロセスが複数の人から見えるようにして、決裁権限と出納権限を分離するのが常識です。
女の子一人でいくらでも出納できるというのは、きわめて非常識だと山田さんはいつも指摘されます。

「いや、うちは美人しか採らんから大丈夫」というのが、山田さんの答えです。
「ブスは男に貢ぐが、美人は男が貢ぐからちょろまかさない」という訳です(このように女性の容色に言及すると、一般には大問題!)。

このエピソードだけだと、ただ闇雲に信頼しているだけだと思われるでしょう。
さらに極端な例をお話しましょう。

未来工業が上場する前は、購買担当部門がなく、現場がそれぞれ材料を発注していました。
そのとき山田さんは、「お前らはどうせ泥棒だろう。せいぜい高く買ってわいろを貰うがいい!」と言い放っていた、といいます。

本人に言わせますと「高く買ってもせいぜい1000万円を1200万円で買って、100万円をわいろでもらう程度だろう。不正を防ぐために購買担当を一人雇ったら、それだけで750万円かかるから、その方が高くつく・・・」

ただし、この理由づけは前のエピソードと同じく、山田さん独特の表現であり、あまりまじめに取らない方がいいと思います。それから、あらゆるところを徹底的にけちる未来工業の企業カルチャーを知らないと、この話の真髄は理解できません。
不在の時に頭の上の蛍光灯を消させたり、会社から営業の携帯に電話することを禁じたりしている中で、「高く買ってわいろを取れ」といっているのです。
未来工業(当時)はチェック機構がないので、その気になればわいろは堂々と取れたと思いますが、おそらく誰も取らなかったのではないでしょうか。

人間の心理はとても面白いもので、「あなたはきっといい人ですよね!」といわれて、厳重なチェック機構があると、何とかその目を逃れてちょろまかそうとします。これが、前に述べた「不信頼」には「不信頼」で応える、という心理です。

ところが「お前らはどうせ泥棒だろう」といわれて、わいろを自由に取れる状況が出来ると、人は意外にちょろまかさないものです。
最近のやたらにコンプライアンスが厳しいマネジメントの常識からみると、ちょっと信じられないかもしれませんが、「北風と太陽」の寓話そのままのような気がします。

もちろん、より正確に記述すると、当時の未来工業はチェック機構がなかったので、わいろを取った人がいたかどうかはわかりません。
いっさい「Don’t Care」なのです。

これが「無条件の受容」です。「いい人」だろうと「悪い人」だろうと、一切構わずに受容する、という事です。
山田さんのせりふを借りると「お前らはどうせ泥棒だろう。だけど、俺は泥棒扱いをしないよ」ということです。

さて、経営者がこのように「無条件の受容」ができると、従業員はすさまじい勢いで活性化し、会社の業績はぐんぐん上がっていきます。
これが「フロー経営」の神髄であり、とても不思議な現象です。

その理由は奥が深く、人間の深層心理の神髄に触れることになります。
私は、教育問題に取り組んだことにより、ようやくそれを解明することが出来ました。

人は誰でも、ヌクヌクと育っていた子宮を強制的に追い出された、というトラウマ(心の傷)を抱えています。
心理学では、それを「バース(誕生の)トラウマ」と呼びます。

バーストラウマは、人が経験する最初で最大のトラウマだけでなく、その後一生の間に経験するあらゆる苦しみの原因になっています。
また、自己否定や劣等感の元凶であり、自由に能力を発揮する妨げになっています。

陣痛が始まる前までの子宮は、胎児を無条件に抱擁しており、バーストラウマを軽減するためには、その状態まで戻さなくてはいけません。
それが「無条件の受容」です。

教育に「受容」が大切なことは、誰でも知っている常識ですが、通常は「あなたがいい子で、私のいう事をよく聞いてくれれば受容してあげる」という「条件付き受容」です。子どものしつけのためには、それがいいと思われています。
「条件付き受容」では、子どもたちのバーストラウマは軽減せず、能力は伸びません。

教育の現場でも「無条件の受容」が実行されることはほとんどありません。『「生きる力」の強い子を育てる』(飛鳥新社)では、ニイルの教育について紹介しました。

およそ90年前に、彼が今日でいうフリースクールの原型をイギリスにつくると、国中から札付きの「ワル」が集まってきました。盗癖、破壊癖、虚言、すぐキレるなど、まるで小さな悪魔のようだったといいます。

ところが、半年もたたずに小悪魔たちは幸福で、健康で、善良な天使のような子に変身するのです。その秘密が「無条件の受容」です。

いっさいの叱責や指導をせずに、ありのままのその子、つまり盗癖や破壊癖を待ったまま受け入れるのです。
時には、ニイル自身がその子と一緒になって盗みをしたり、学校の窓ガラスを割る、などといった極端な手段もとられました。

その手段が有効なのは、父親の厳しいしつけが原因で盗癖や破壊癖が出ている子です。
入学すると、その子は必ず父親や神のイメージを、校長であるニイルに投影します。
その校長が自分と一緒になって盗みや窓を割ることで、無意識レベルの「恐怖の父親」のイメージが破壊され、癒されるのです。
このようにニイルは、フロイトやライヒなどの深層心理学を実地に応用して、大きな成果を挙げました。

この事から私は、未来工業などの「無条件の受容」が出来ている企業は、やはり従業員のバーストラウマが癒されることによって能力が発揮される、という原理に気付きました。

ほとんどの人は大人になっても、バーストラウマを重く抱えており、それが能力の発揮を抑えています。「無条件の受容」によってバーストラウマが軽減すると奇跡が起きます。
小悪魔が短期間で天使に変身するのと同じように、普通のサラリーマンがスーパーマンに変身するのです。

このように企業経営と教育というのは、共通性が強いようです。たまたま、その両方を探求してきた私は、とてもラッキーでした。
『非常識経営の夜明け』(講談社)に書きましたが、いま世界中で「フロー経営」のフラッグシップとして、ブラジルのセムコ社を上げる人が多いのですが、それを実行したのはNo2のクロヴィス・ポジキアンという人です。

彼が、セムコ社に入る前は、ニイルの教育学を信奉していた著名な教育者だった、というのは私にとっては大きな衝撃でした。
セムコ社の『奇跡の経営』の根本原理がようやく深いレベルから理解できました。

原理的なことはとても明解なのですが、その割に教育の世界でも企業経営の世界でも、「無条件の受容」が実行されているケースはきわめて僅かであり、知られておらず、増えてもいません。

それは何故かというと、「無条件の受容」を実行するためには、その人自身のバーストラウマが十分に軽減していないとだめで、知識で知って意志で「こうしよう」と思ってもできる話ではないからです。
天外塾でいま、知識の伝達よりも塾生の「意識の変容」のお手伝いを重視しているのはそのためです。

4月開講の未来工業の山田昭男さんの特別セミナー
2期生は、キャンセルが出たため、若干名を追加募集いたします(下記お知らせ参照)。
上記の「無条件の受容」を、直接本人から聞ける絶好のチャンスです。

「日本は沈むのか?」 2012年2月2日 No.60

1月30日(月)に発売された『週刊現代』で「これからの日本を考えるヒント」という特集が組まれました。日本がずるずると衰退していく、という悲観一色の記事の中で、下記のように私のコメントが引用されました。

「ソニーの設立趣意書には『自由闊達にして愉快なる理想工場』という一節があり、創業期には、従業員がハッピーで夢中になって仕事に取り組む『フロー状態』が大切にされた。経営者も数字を見るだけの合理主義者とは違い、人間性を深める自己研鑽を続け、従業員のお手本になっていた。
その中から、多くの画期的な商品も生み出された。日本は、いまさら高い成長を望んでも無理。企業は原点に立ち返り、経営の質を見つめ、内面的充実を目指すべきです」

限られた紙面の中でやむを得なかった、とは思いますが、これでは私の語った主旨がまったく反映されていません。
以下に思いのたけを
述べさせて下さい。

ただでさえ競争力をなくしてきた日本の産業界に、激しい円高が直撃し、多くの人が絶望的な気分になっています。週刊誌は売り上げを伸ばさなくてはいけないので、そういう人々の気持ちに迎合するように、「このまま日本は沈んでいくのか!」という記事が好まれるのでしょう。
私は、根本的に物事のとらえ方が少しおかしいと思います。

日本は既に「量的拡大の時代」が終わり、「質的充実の時代」に変容しつつあります。
その変容は、20年以上前から密かに進行していましたが、3.11以降、より明確になりました。

ひと言でいえば「GDPからGNHへ」です。
いままで、国はGDP(*1)だけで評価されてきましたが、これからは先ごろ国王夫妻が来日していたブータンで始まったGNH(*2)が重視される、という事です。
電力不足で東京の街が暗くなりましたが、それまでいかに無駄にギンギンギラギラ明るくしていたか、気づいた人は多かったと思います。無駄に明るくした方がGDPは上がります。

大震災のニュースに紛れてしまいましたが、同じ頃にホリエモンの裁判が報道されていました。彼は自家用ジェット機にガールフレンドを乗せて海外のリゾートに行っていましたね。
そういう人生を目指す人が多いほど、日本のGDPは上がります。

ところが日本の若者の多くは、そういう人生より、被災地で泥にまみれて瓦礫と格闘する人生に意義を感じています。つまり、未来を担う若者たちはすでにGDP至上主義から離れているのです。
ギンギンにエゴを追求ばかりをしている人より、瓦礫と格闘している人の方が人間として一皮むけているようにも思えます。

いまの社会の指導者層は、まだまだGDP至上主義者がほとんどです。つまり、若者たちより遅れた人たちが国や企業を牛耳っています。人類はどんどん進化していますので、いつの時代でも若者の方が先に行っています。

古今東西あらゆる賢人たちは、質素で謙虚でつつましい生き方を理想的な人間として説いてきました。
そういう人は、あまりモノを買わないでしょうから、国がそういう人だらけになれば、GDPは見るも無残に下がるはずです。

逆にGDPが高い国は、贅沢をし、無駄使いをし、エゴを徹底的に追及する人にあふれているはずです。ついでに言えば、高度成長期には私腹を肥やす汚職が盛んになります。昔の日本や、いまの中国がそうです。
つまり、国民の精神的レベルが向上すると、自動的にGDPは下がるというというのが、社会と経済の基本的な原理です。

経済学の始祖といわれるアダム・スミスは、もともとは倫理学が専門の哲学者であり、この矛盾に深く悩んだ、と伝えられています。GDPで中国に抜かれ、産業界が競争力を失いつつある日本の現状は「ああ、沈んでいく!」と嘆くような話ではなく、「社会が進化しているな」と、喜んでもいいのです。

ただし、うつ病だらけのいまのほとんどの企業の経営は抜本的に改めるべきでしょう。このままでは、優秀な若者は企業には入らず、NPO,NGOで活躍する方向に行きます。
もっと従業員が喜びにあふれ、元気に自己実現に向うようなマネジメントが求められます。それが、企業のレベルのGNHです。そのキーが「フロー」です。

もちろん、「フロー経営」は会社の業績も飛躍的に伸ばしますから、それは単に従業員の幸福だけではなく、GDPにも貢献することになります。これは無理矢理押し上げられたバブル的なGDPではなく、付加価値を創造することによる、実質的で健全な繁栄です。

「GDPからGNHへ」ということを、企業のレベルで語るなら、「売上・利益至上主義から、従業員の幸福度を最優先にした経営へ」ということになります。
企業の場合には、それがしっかりできれば売り上げも利益も自然に上がるので、GDPをないがしろにしている事にはなりません。

いま天外塾でお伝えしているのは、結局「GNHの大切さ」ということであり、社会全体の進化の流れに沿った企業経営になります。
これからの社会の進化と、その中でどう生きていくかは『GNHへ』(ビジネス社)に書きましたので、ご参照いただければ幸いです。この本が3.11以降の日本の進路を考える上で皆さまのお役にたつことを願っています。

*1.GDP(Gross Domestic Product)国内総生産。
一定期間内に国内で生み出された付加価値の総額。

*2.GNH(Gross National Happiness)国民総幸福感。
(Wikipedia)

 

天外伺朗

「荒天準備」 2012年1月22日 No.59

以前、外洋ヨットに乗っていました。
嵐が近づくと、あらかじめセールを小さくし、ヨット上のあらゆる物をしっかりと固定し、カッパを着て、ライフジャケットと、波をかぶっても落水しないように体を固定するハーネスをつけます。
これを「荒天準備」といいます。

13日にフランスをはじめとする9カ国の格付けが予想通り引き下げられました。これは、世界経済が嵐になるので、それにそなえて「荒天準備」に入りなさい、というメッセージに聞こえます。

国の財政破綻は、2001年のアルゼンチンなど過去に例がありますが、時代が変わり、その頃と現在とでは全く状況が違います。
例えば、CDS(Credit Default Swap)と呼ばれる複雑な金融取引は2002年に発案されました。これは、債権者が破綻したときにその債務を全額保証するという一種の保険を、デリバテイブ(金融派生商品)として商品化したものです。

いま、ギリシャの救済策として、債権者が債権の50-60%を放棄することが話し合われています。
ところが、CDSをかけている人は、債権を棒引きするより、むしろギリシャが破綻した方が好都合なのです。当然、破綻するように圧力をかけてきます。

ヨーロッパの首脳の中には、国債に対するCDSを無効にしようと提案している人がいますが、現行法の下でそれが可能か疑問です。CDSをかけている人が、なぜ破綻を望むのか疑問に思った方も多いでしょう。
以下になるべくわかりやすく、その理由を説明したいと思います。

債権というのは、危険なほど金利が高い訳ですが、CDSの発明によって、金融業者は儲けの大きな、ギャンブル的な取引に手を出せるようになりました。もちろんCDSそのものも、債務を保証するという危険を引受ける訳ですから、ギャンブル商品のひとつであり、金利は高くなります。

CDSの売り手は、その高い金利を補って余りある程の大きな儲けが期待できる、より危険な取引に手を出すことになります。
CDSはこま切れにされて他の多くの金融商品と複雑に組み合わせることにより危険が分散され、複合商品として売られます。当然その金利は、CDSが組み込まれた比率に応じて高いので、元々の債務者が破綻しない限り、とても魅力的な商品になります。

つまり、売り手は元手が補償されているので、安心してギャンブルにのめりこめるし、買い手はうまく危険が分散されれば、高い金利をエンジョイできるという夢のような商品に見えました。そのため、CDSは爆発的に伸び、わずか5年後の2007年末には62兆ドルという世界中のGDPの総計より大きな額に達しました。

これが何を意味しているかというと、昔は産業界を支える裏方だった金融業が、一斉にギャンブルに走ってしまったという事です。金融業界は、5年間は信じられないような利益を挙げました。
たとえて言うならば、まじめな商売をしていた人達が、突然業界こぞって競馬に狂い、いっときは当たりに当たって大儲けをしたようなものです。
幸いなことに、世界の中で日本の金融業界だけはあまりギャンブルにのめり込みませんでした。

一般の産業というのは、地道な努力をして製品やサービスに付加価値をつけることにより、利益を生み、産業が発展します。
ところが、ギャンブルというのは、右から左にお金が流れるだけで付加価値は増えません。
つまり、誰かが儲ければ、必ず誰かが損をする、という構造になっています。それは、必ずしも同時に起きないこともあり、誰かが儲けた分を後になって他の人が補てんすることもあります。

リーマンショックというのは、サブプライムローンという危険なギャンブルから引き起こされましたが、ひとつの金融機関の破綻が全世界的な金融収縮につながってしまったのは、お互いにCDSを掛け合っていたせいです。

個別に見れば、CDSにより債務者の破綻の危険から回避できるはずですが、それは周囲が健全だという前提のもとでの安全なのです。世界中がCDSで覆われてしまったら、全体が破綻するので救いようがないのです。

たとえて言うならば、お互いにロープで結びあい、安全を確保したつもりになって、本来なら行ってはいけない危険な山に登ったら、全員がロープで結んだまま滑落してしまった、という感じでしょう。
そして、金融業界がいっときギャンブルでぼろ儲けをした「つけ」を、その後世界中の人々が払わされているというのが、いまの構図です。

CDSには、このように部分最適だけど全体的には破綻に向かうという側面のほかに、個人のレベルにたとえるなら「保険金殺人」に相当する、きわめて悪質な側面もあります。
例を上げると、倒産の危機に瀕した企業は、喉から手が出るほど資金が欲しいので、法外な金利でも社債を発行したいでしょう。その社債を引き受けて、CDSをかける、というのがその手法です。

法外な金利だけ先に回収しておけば、その企業が倒産すれば元本が戻ってくるので、CDSの売り手は大儲けできます。当然、その企業が倒産するようにあの手この手を打ってくるでしょう。


この場合、大儲けの「つけ」は倒産した企業と共にCDSの買い手が支払う訳ですが、危険が細かく分散されているので、あまり大きな問題になりません。つまり、企業を倒産させることにより莫大な利益が転がり込む、というあくどいオペレーションが可能なのです。
「保険金殺人」は犯罪ですが、このオペレーションはまったく合法的なのです。

一般の人の中には、いっそうのことギリシャを破綻させてしまえばいいじゃないか、という意見もあるようですが、CDSがこれほどに張りめぐらされたいまの世界で、それがどういう影響を持つのか誰も予測ができません。
リーマンショックのときも、あれほどの世界的な金融収縮を起こすことが予測できた経済学者は、私の知る限りひとりもいませんでした。

ケインズも、フリードマンも、ハイエクも、すばらしく精緻な経済理論を提唱しましたが、彼らの頃はデリバテイブもなかったし、市場がギャンブラーに席巻されることもありませんでした。いまの世界は、既存の経済学では読み解けない時代に突入しているのではないでしょうか。

著名な投資家のジョージ・ソロス氏はリーマンショックの直後に、CDSを批判して「他人に生命保険をかけ、その人物の生命を奪う権利を持つようなもの」と述べました。
ソロス氏は金融の世界を賭博場に変えた、名うての「禿鷹ギャンブラー」のひとりだとみなされており、このようの倫理的な発言を意外と受け止めた人が多かったようです。
おそらく彼にとっても、リーマンショックは衝撃だったのでしょう。

1992年のポンド危機は、まさに彼が仕掛けました。経済の実態よりポンドが高止まりしていると判断した彼は、積極的に空売りを仕掛け、イギリス政府の必死の防衛に打ち勝って暴落を誘い、10億〜20億ドルにのぼる利益を得たといわれています(Wikipedia)。

一国の国家財政に勝てるだけの資金力を、一介の民間のヘッジファンドが集め得る、という事実に、多くの人が驚嘆しました。
この場合には、彼が上げた利益の「つけ」はイギリス政府、ひいては国民が納めた税金で払われました。つまり、国民の税金を、まったくその国に無関係な個人がどんどん吸い上げるという、手品のようなオペレーションが実際に行われたのです。

ただし、彼が上げた利益のいかばかりかは、めぐりめぐってあなたが買った投資信託の金利になっていたかもしれません。
その後リーマンショックで破綻するまでの約15年間にわたって、多くのヘッジファンドが、世界の金融市場で荒稼ぎをしましたが、その資金のかなりの部分は、ほぼゼロ金利の日本円でまかなわれたといわれています。

つまり、産業界を活性化するための金融緩和が日本経済を復活させることもなく、禿鷹ギャンブラー達に使われてしまったのです。

じつは、破綻することによって大儲けをするための金融商品は、CDSだけでなく、ありとあらゆるデリバテイブやオプション取引が考案され、すでにギリシャ、イタリア、スペインなどの国債には、がんじがらめに仕掛けられています。
あるいは、気が早い人は日本の国債にも手を出しているかもしれません。

彼らは、それらの国の破綻を、今か今かと待ち望んでいます。その様子は、死にかけた動物がよたよたと歩いていると、近くの樹木の上に禿鷹が次々と集まってくるのによく似ています。

国の破綻というのは、自然災害ではありません。
悪意を持って攻めてくる禿鷹ギャンブラー達の攻撃を、正統的な国やEUの財政が防衛しきれなかったという、あきらかな人災です。いまのところ、その市場における戦いは合法であり、いかに悪意があろうとも、それを取り締まる法律的な手立てはありません。

CDSをはじめとするデリバテイブというのは、金融業に利益をもたらす福音と考えられたのですが、実体は何ら付加価値を生まないギャンブルの道具であり、所詮は弱い者から金を巻き上げるための巧妙な仕掛けにすぎません。

ここまでお読みの読者は、何となくヘッジファンドが悪者のように感じておられるかもしれません。
しかしながら、保険会社や年金を預かる立場の人などは少しでも手持ちの資金を有利に運用する義務を負っています。つまり、本人はギャンブルをしないとしても、ギャンブルの危険性が適度に分散された複合金融商品は必須です。

ギャンブラーは、自分の趣味で賭博に走っている訳ではなく、多くのまじめな投資家の期待を一身に受けて、体を張って賭博場に通っており、金融業界全体の収益性向上に大いに貢献しているのです。
それでは、現在の破局的な状態を招いた真犯人は、いったい誰でしょう?

ほとんどの方が驚かれるかもしれませんが、誰しもが当たり前と思い、何の疑問を持っていない「金利」が真犯人です。

『GNHへ』(ビジネス社)で紹介しましたが、『モモ』を書いたドイツの作家、ミヒャエル・エンデがそれを詳しく分析し警鐘を鳴らしました。
彼のメッセージは「エンデの遺言」というタイトルで1999年にNHKで放映され、大きな反響を呼びました。
今の世界情勢は、まさに彼が心配していた通りに推移していると思います。

「金利」を伴う「お金」を対象に、より大きな利益を追求していくと、人々はどんどん危険の高い取引に吸い寄せられていくのは必然であり、その危険を分散する手段を発明して、いずれは破局に向かいます。

それを防ぐためのいかなる法律を制定しても、賢い金融業界の人々は規制の目をかいくぐる方策を発明するでしょう。つまり、人々が利益を追求する事を社会の推進力にしている貨幣経済システムそのものの本質が、破局の可能性を内包しているのです。

唯一の解決策は、金利がマイナスの地域通貨を発行し、グローバル化に背を向けて、地域で閉じた経済圏を確立することです。それが出来れば、ユーロが破綻しようが、ドルが暴落しようが、TPPが来ようが、イランを震源とする紛争が起きようが、人々の生活はびくともしないでしょう。

「荒天準備」としては、いささか足の長い対策になりますが、世界的な嵐の中で生き残る、最も強力で実際的な方策が「地域通貨」の普及だと確信しています。
詳しい説明は『GNHへ』をご参照いただければ幸いです。

以上

 

天外伺朗

「自分の物語」を生きる 2012年1月4日 No.58

明けましておめでとうございます

以前と何ら変わらない日常のようでも、カレンダーは2012年という新しいページになっています…でも、日本の社会は、昨年の3月11日に古い暦が破壊され、新しい歴史に突入したのかもしれません。

「3.11は我々の日付になった。何かが完全に終わり、まったく違う日々が始まる」
(池澤夏樹、朝日新聞2011.04.05)

多くの人が放射能汚染に対する取り組みで苦しんでいますね。

海外の友人の中には、今でも日本列島全体が放射能まみれになっていると信じている人が大勢います。
センセーショナルで行き過ぎた報道は、日本だけではなく海外のマスコミでも見られました。

原発からはるか遠くに住んでいるにもかかわらず、そういう報道を信じ込んで、恐怖に駆られて沖縄や海外に移住した友人も結構います。

実際に汚染濃度が高い地域にお住まいの方は、不安が大きいでしょうし、子を持つ母親の気持ちを思うと心が痛みます。
国や地方自治体も、決して手を抜いたり、サボっているわけではなく、懸命に知恵を絞って汚染が拡散しないための対策や除染を進めています。一方では、国の発表や対策は信用できないと考えて、自ら測定し、警鐘を鳴らして、対策に奔走している人も大勢います。

これらの活動は、すべて貴重であり、大災害から日本が復興していくためには、たくさんの多様な努力が必須です。
原発事故の収束や、汚染の拡散防止策、除染などの実際的な活動は、もちろんとても大切ですが、ここでは精神的な対応について考えてみましょう。

心配で逃げ出した人や、過剰に反応している人に対して非難めいた事をいう人もいますが、目に見えない放射能に対する恐怖というのは、人間として当然でしょう。沖縄に逃げていった友人が「自分だけ逃げてしまって…」と、後ろめたい気持ちを表明したので、「あなたの心の平安が、何より貴重なのですよ」と、諭しました。

不安にさいなまれている人は、それを無理やり押さえ込もうとしないで、状況が許されるなら、不安を解消するための行動をとったほうが自然です。

一方では、原発事故の直後に、放射能をものともせずに、そこに駆けつけて被災者の援助に当たったボランテイアや僧侶もおり、また、汚染濃度が高い中で平然と、何事もなかったごとく暮らしている人たちもたくさんいます。
原発からはるかに離れていても心配で移住するのも「人」なら、汚染濃度が高い中でも平然と暮らすのも「人」です。
いったい両者は何が違うのでしょうか?

ここで「いい/悪い」という判断の呪縛に陥らないようにご注意いただければ幸いです。

放射能汚染が心配なのもきわめて人間的だし、平然と暮らすというのも、ひとつの性根の据わった生き方です。
「反応が過剰だ」とか、「危険性に気づいていない」などという批判は、余計なお世話であり、両者が議論をしても噛みあうはずはありません。

人はみな、それぞれの価値観に基づいて「自分の物語」をつむいでいく存在であり、それを人に押しつけても何の意味もないでしょう。

私自身は、1947年から2年間広島にいました。庭が海に面しているという夢のような家に住んでいましたが、大勢の若者が海水浴のため勝手に庭に入りこんできました。夏になると人々の裸を毎日眺めていましたが、ほとんどの人が大きなケロイドを負っており、直接被爆していました。

放射能の危険性も知られておらず、測定器もない時代でしたから、野菜や米の汚染も誰も気にかけず、私の家族は汚染だらけの食材を2年間食べ続け、それが体内に蓄積して内部被爆も起こしたと推定されます。
直接被爆した人たちのケアですら十分ではなく、そういう二次的な被害まで、とても気が回らないのは、むしろ当然だったでしょう。

それでも、私は69歳の今日まで健康に生きてきましたし、母親は病気ひとつせずに101歳(数え)の天寿を全うしました。

もし、統計を取ったなら、おそらく汚染された食材を食べた人の癌の発病率は僅かに高いでしょう。でも、統計的なデータと一人ひとりの人生の実感は必ずしも一致しません。
癌は細胞分裂のときDNAのコピーミスによって起きます。私たちがコンビニで資料のコピーをする時でも、何枚かに一枚はコピーミスが出ますがそれと同じです。

私たちは1日に約200億個の細胞を製造しますが、確率的にいって数万個の癌細胞が生まれていると推定されます。それでも癌にならないのは、その大半が自己免疫力によって殺されるからです。生き延びた癌細胞は数年かけてコロニー(病巣)に育ちます。
コロニーが形成されても、
そのほとんどは自己免疫力で自然に消滅します。

矢山利彦医師は、コロニーに様々な汚染物質が集まってくる事を「ゼロサーチ」などを使って推定しています。それらは、農薬、食品添加物、環境ホルモン、金属、細菌、寄生虫など多種多様です。

それらの汚染物質があることにより、免疫細胞が混乱してまともに戦えなくなり、結果として癌細胞が生き延びる確率が上がる、という仮説を矢山医師は提唱しておられます。
つまり、汚染物質を蓄積することが、癌細胞の自衛手段になっているらしいのです。

放射線を浴びるとコピーミスが増えるので癌細胞の数は増えますが、いま問題になっているレベルは、毎日5万個が5万2千個になったといった違いではないかと思われます。もちろんそのわずかな違いでも、自己免疫力を超える確率は上がりますから、統計を取れば癌の発病率は僅かに上がるでしょう。

でも、個人としてみれば、放射線を浴びることよりも、体温が0.1度下がって免疫力が低下することの方が、癌の発病率には効くかもしれません。あるいは、農薬や金属の蓄積のほうが放射線よりも危険かもしれません。

これが、統計データと個人の感覚の違いの正体です。
統計データは、マウスなどを使って、他の条件を一定にして放射線濃度と癌の発生確率を調べます。

ところが、実際に生活している場面では、放射線以外に癌になる要素は山ほどあり、放射線の影響は埋没してしまう傾向があります。

たとえば、自己免疫力は精神の持ち方で大きく変わりますから、「不安」になっている人は平然としている人より、癌になりやすいでしょう。
ただそれは、深層心理の問題
なので、不安になっている人を非難することは残酷だし、「不安にならないように」といっても何の意味もありません。

理性や論理でコントロールできるような話ではないのです。

だから、不安になったら「逃げる」というのが、唯一の解決法です。
恥ずかしがらずに堂々と逃げればいいのです。内心の不安を隠して、表面だけ平然としている、という状態は無理があります。

逆に、まったく不安を感じなかったら、自己免疫力が活性化しているので、少々放射線濃度が高くても癌にはならないでしょう。だから、平然と生きるのが自然です。

私の家族が、原爆投下直後の広島で、高濃度に汚染された食材を食べても健康を保てたのは、当時は誰も知識がなく、不安になりようがなかったことも幸いしたと思います。

3.11の後の日本では、多くの苦難や葛藤を体験して、「自分の物語をしっかりつむぐ人」が増える、のではないかと思います。
皆の物語に付き合うのではなく、「自分」の独自性をちゃんと認識できる。また、「自分の物語」に人を巻き込もうとしないで、他人の独自性や、それぞれの物語を尊重できる、という事です。

放射能が不安だったら、堂々と逃げる。不安を感じなかったら、平然と生きる。どちらがいいという事ではなく、それぞれに物語があるのだから、それぞれの価値観や生き方を尊重して、共に仲良く生きていく、という感じです。

ひとことでいえば「多様性が受容される社会」ということになります。

逆にいうと、いまの社会はまだ多様性が受容されていません。
らゆる人が、自分と同じ価値観に人を巻き込もうと躍起になっています。民主主義の多数決という仕組みそのものが、多様性を許さずにひとつの意見に無理矢理に収束させますね。

原発の推進派と反対派の議論も、TPPを巡る議論も、相手を粉砕する論理展開がぶつかるばかりで、私にはあまり建設的に映りません。

私は、いずれ原発は消滅すると見ていますが、それは社会の価値観がGDPからGNHに自然にシフトするからであり、反対運動が成功するからだとは思っていません。

GDP至上主義というのは、明治以来の国是の「富国強兵」の変形であり、多くの人がまだその呪縛にとらわれています。
その信者が原発を推進するのは当然であり、原発反対の議論をふっかけても虚しいばかりです。

ただ、社会は着実に進化しており、若い人ほどGNHの大切さを理解しています。いずれGDP信奉者が死に絶えれば、原発は自動的になくなります(もっともその前に、私自身がいなくなるでしょう)。

国民投票などで強引に原発廃止に持ち込むという選択もありますが、戦いの歪が残りそうです。多様性が受容された社会では、急激な変革よりも、ゆったりとスムースなことが好まれます。

「佳き事はカタツムリの速度で…」
(マハトマ・ガンジー)

「すべての人を自分と同じ価値観に塗り替えよう」
という傾向は誰でも持っているように見えますが、自我の発達の階層では「後期自我」に固有の性質です。

ただ、いまの社会の成功者、つまり指導的立場のほとんどの人が「後期自我」のレベルにあるので、あたかもそれが人間の一般的特性のように誤解されています。「後期自我」の手前の中期自我」のレベルの人は、自らの価値観を押し殺して、何とか社会の価値観に合わせようとします。
自分ひとりだけ他と違っている
事に耐えられないのです。

「自分の物語をしっかりつむぐ人」というのは、「中期自我」や「後期自我」のレベルから一歩抜け出せた人を指します。
一般には、放射能の不安から逃げ出した人より、平然と生活している人の方が人間的な成長を遂げているという印象がありますが、それは誤解です。

内心の不安を押し殺して平静を装っている人は、どちらかというと「中期自我」だし、逃げ出した人を批判したり、あざ笑ったりする人は「後期自我」です。

「自分の物語」を生きる人は、「自分の内面」に忠実であり、他人との比較はしません。不安だったら堂々と逃げるし、不安を感じない人でも、感じている人の気持ちに共感できます。自分と違う価値観の人がそばにいても居心地の悪さを感じません。

社会が順調なら、内面の葛藤を戦いのエネルギーに変えて、ひとつの方向へ猪突猛進する「後期自我」や、リーダーに盲目的に従う「中期自我」が大いに活躍するでしょう。

事実、彼らの献身的な働きで日本の経済・産業は大発展して、いっときはGDP世界2位の経済大国にのし上がってきました。私自身も、若い頃には猪突猛進の猛烈企業人のひとりであり、明らかに「後期自我」のレベルでした。

ところが、大災害や、原発事故が起き、予定調和の世界が崩れると、「中期自我」や「後期自我」の人たちの行動は浮いてしまいます。「自分の内面」に接地できておらず、「国の物語」や「会社の物語」など「他人の物語」を生きているからです。

大災害が「社会の変革」のトリガーになるのはそのためです。先の見えない大混乱の中で、々はまず「自分の物語」を探すでしょう。首尾よく見つかれば、いかなる状況の中でもしぶとく生きていけますし、的確な状況判断が下せます。

2012年も、ヨーロッパを震源とする金融崩壊の危険性があり、極端な円高から日本の産業界が大打撃を受けるかもしれず、日本の国債の金利が急上昇して、日本自身がギリシャ、イタリアに次ぐソブリンリスクに瀕するかもしれません。

しかしながら、世の中がどうなろうとも、「自分の物語をしっかりつむぐ人」は揺らぐことはありません。その人が経営する企業もびくともしないでしょう。

物語の印象はエンデイングで決まりますね。
「自分の物語」の終わりは「死」であり、それをしっかり意識できると、物語の輝きが増します。

逆に「死」から目をそらして生きている人は、「死の恐怖」が無意識レベルでモンスター化しており、それに支配された人生になります。
いま、
文明人のほとんどはその状態にあります。

『経営者の運力』(講談社)や『運力』(祥伝社)
では、人は「死」と直面できると、「運力(自らの運命に対するマネジメント力)」が強化できる事を述べました。

放射能に対する不安にさいなまれている人は、「死と直面するワーク」を実践すると、かなり不安が和らぐと思います。

「天外塾」の「運力強化特別セミナー」では、ラム・ダスが「死にゆく人の家」のスタッフのトレ-ニングのために工夫した「死の瞑想」を天外流にアレンジして実施しています。
その日から3日間は、大きな決断をすることを禁止しなければならないほどの強烈な「死と直面するワーク」です。

 

さて、以下はお知らせです。

1.Flow Institute 主催のイベントが二つあります。

こちらのお申込み、お問合せは下記です。
http://www.flowinstitute.jp
info@flowinstitute.jp

(1)放談シンポジウム

2012年1月26日(木)14時
(国際文化会館)

講師:
横田英毅さん(ネッツトヨタ南国)
柳澤大輔さん(面白法人カヤック)
永田雅乙さん(ブグラーマネジメント)
天外伺朗

 

(2)第5回 フロー・シンポジウム

2012年3月17日(土)13時
(千駄ヶ谷の東京体育館の第一会議室)

講師:
小森谷浩志さん(組織開発コンサルタント)
中土井僚さん(U理論布教者)
鈴木規夫さん(インテグラル・ジャパン代表)
天外伺朗

 

2.ホロトロピック・ネットワークの年大会です

ホロトロピック・ワールド 2012
「生きる力」
-日本の未来へ!親も子どももたくましく!-

2012年3月4日(日)11時
(浜離宮朝日小ホール)

講師:
船戸崇史さん(船戸クリニック院長)
高野孝子さん(冒険家)
衛藤信之さん(心理カウンセラー)
天外伺朗

こちらのお申込み、お問合せは下記です。
http://www.holotropic-net.org
info@holotropic-net.org

 

3.オフィスJK主催のセミナーが4つあります

(1)未来工業の山田昭男さんの特別セミナーの2期生を募集中です。

日程は、2012年4月13日、5月18日、6月15日の全3回(いずれも金曜日)。

 

(2)ネッツトヨタ南国の横田英毅さんの特別セミナー4期生を募集中です。

日程は、2012年7月27日、8月31日、9月28日の全3回(いずれも金曜日)。

 

(3)瞑想のワークを中心とした「運力強化特別セミナー」の2期生を募集中です。
こちらは2009年以降の天外塾卒業生のみが対象です。

日程は、2012年10月12日、11月9日、12月14日の全3回(いずれも金曜日)。

 

(4)通常の天外塾は、2012年度後期生を募集中です。

日程は、2012年10月5日、11月2日、12月7日、2013年1月11日、2月8日、3月8日の全6回(いずれも金曜日)。

上記、四つのセミナーの「お申込みフォーム」です。
http://www.officejk.jp/category/1327009.html

 

4.2012年の札幌天外塾の日程が決まりました。

4月7日、5月11日、6月8日、7月6日、8月3日、9月7日(いずれも金曜日)

こちらのお申込み、お問合せはオフィスJKではなく、下記です。

太田綜合法律事務所(担当者:森祥子)
http://oota-law.com/tenge-page.html
tenge.sap@gmail.com

札幌市中央区大通西4丁目道銀ビル7階
電話:011-222-3251 FAX:011-222-5127
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以上

 

天外伺朗