天外塾では、元ソニー上席常務の天外伺朗が、ソニー創業期の経営を体系化した奇跡の「フロー経営」についてお伝えしています。

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報道資料

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2013年12月 週刊女性

「生きるって、死ぬって、、、—今、伝えたいこと—。」

僕は、‘06年に42年間務めたソニーを退社しました。
本来、役員が辞めるときには、『感謝する会』という送別会を開くのが恒例ですが、それを断り、代わりに『(本名)土井利忠のお葬式』をしてくれとお願いしたんです。

これは『生前葬』と言って、まだ生きているうちに、自分自身のお葬式をすることです。

『感謝する会』の形を変えただけですが、ソニーでは前例がなかったので、驚かれました。

当日は、きちんと喪服着用にして、弔辞を3〜4人に読んでもらいました。僕は喪主の挨拶をして、それから大僧正の服を借り、お坊さんの役もやった。一人三役ですよ。

罪深き人生を送った霊に対して、お坊さんが送る戒めの言葉、『戒霊告』というのも自分で読みました。
「汝、土井利忠だった者の魂よ、生前、悪行の限りを尽くし、社長命令を無視すること何十回……」
と、冗談めいたことも言ったりしてね。みんながギャーと笑うような雰囲気でしたね。

それから、自分で作詞作曲した歌も披露しました。「ありがとう」と言って自分が死んでいく歌です。

同年の正月に高熱を出したとき、曲のインスピレーションが浮かんだんですよ。その時は、縁起でもないな…と思っていましたけど。(笑い)

研究所のメンバーがチェロと第2バイオリン。ヴィオラは、アイボの研究を一緒にやったエンジニア、というように、ソニーオーケストラのトップが弦楽四重奏を引き受けてくれました。アレンジつきで歌ってくれて、その演奏にみんな泣いていました。

笑いあり涙ありの素晴らしい葬式ができましたよ。
なぜ、やったかと聞かれても、面白いからやっただけなんですけどね。
ただ、僕は『死』については、それなりの考えを持ってこれまで生きてきました。
きっかけは、父親の死です。

父は、物凄く用意のいい人でした。葬式の写真も自分で用意して、見舞いに来る人にも「ありがとう」と言って、非常に素晴らしい状態で、自分の死の準備をしていました。

ところが、具合が悪くなって集中治療室に入ってから、モルヒネを打たれて意識がないまま、たくさんの管をつながれてしまった。もうスパゲッティ状態です。父はそれを嫌がって、管を抜こうとしたので、やがて、両手を縛られるようになりました。

そこまでくると、人は心を閉ざしてしまうんですよね。
結局、誰も見ていないところで父は死にました。それが非常に残念だった。〝もう少しまともに死ねないのか″と、そのとき強く感じたんです。

今の人たちは、死から目をそらして生きていますよね。
たとえば『4』という言葉を忌み嫌うでしょ?
香典には4万円包んだらダメ。ホテルの中で4階がないところもあったくらいです。

あたかも「死」がないように、目を背けて生きています。

少しずつ緩んできているけど、日本社会にはタブーがある。それはすごく不自然なことだと思っています。「死の恐怖」を抑圧していることになりますから。

目を背けて、あたかも死が存在しないように振舞っていても、〝死の恐怖〟は無意識に巨大なモンスターと化し、それに支配された人生になります。病気になって、〝死と直面〟すると、本人はそこで初めて死の恐怖が出てきたように感じますが、実は無意識のうちに巨大化していた〝死の恐怖〟が、等身大で自分の前に現れただけなんです。

他人事ではなく、自分の身に起こり得るものとして「死と直面」し、「死の時」について思いを巡らせ、死を受け止める用意ができれば、もう死の恐怖に支配されることもありません。とたんに人生が豊かになります。

重篤な病を克服した人が、しばしば名経営者になるのはそのためです。
日本航空の会長・稲盛和夫さんのように。

人間なら、誰でも「死の恐怖」はありますが、それを抑圧して巨大なモンスターに支配されている人生か、支配から脱しているか、という違いがあるだけです。

以前「理想的な死に方」を追求する会を主宰していたとき、「どうせ死ぬなら、いい死に方をしたい」と思うだけで「死と直面」でき、豊かな人生になる事がわかりました。

いま僕が主宰している経営塾でも、「遺書」を書かせて「チベット死者の書」に沿って深い死の瞑想を体験すると、塾生の人生が変わるという不思議な体験をしています。

近代文明社会では、人々は「死と直面」出来ないままに人の死を見取り、自分も死んでいきますが、ちょっと工夫して「死と直面」すれば、見違えるような豊かな人生に変わるのではないでしょうか。

2013年10月 プレジデント

天外伺朗(プロフィール)

本名、土井利忠。工学博士。一九六四年、東京工業大学卒業後、ソニー入社。CD、犬型ロボット「AIBO」を開発。人間性を最重要視した企業経営論を樹立。経営塾「天外塾」主宰。

----天外伺朗の関連部分のみ抜粋----

(本文)
(前略)

こんなエピソードを聞くと、結局、日本にスティーブ・ジョブズはいない、と思い知らされてしまうのである。

しかし、かつての日本企業には「卓越したアイデア力を持つ人材が豊富にいた」と語るのはソニーの元上席常務である作家の天外伺朗氏(本名は土井利忠)。

自身もカリスマ技術者としてつとに有名で、CD(コンパクトディスク)や、犬型ロボットのAIBOを世の中に送り出したが、ほかにもノーベル物理学賞を受賞する江崎玲於奈氏などがソニーに在籍していた(五六年頃)。

その江崎氏は入社当時、ソニーのカルチャーを「組織された混沌」または「秩序ある混沌」と表現した。「技術者は自由奔放に仕事を進め、混沌とした面もありますが、会社全体としては目標が明確でよく秩序が保たれていた」といった主旨のコメントも残している。

ソニーの設立趣意書の第一条にはこうある。〈真面目なる技術者を最高度に発揮せしむべき自由闊達にして愉快なる理想工場の建設〉。江崎氏だけでなく、多くの才能ある人材はそうした社風のなかで、大いに成長していったのだ。

ところが、バブル崩壊後の九〇年代以降、ある原因でソニーのカルチャーが壊れた、と天外氏は語る。その結果、〇三年四月にはソニーの業績が急落し、それにつられて日本中の株が暴落(ソニー・ショック)。天外氏は言う。

「六四年に入社して以来、僕たちエンジニアは目を輝かせて無我夢中で仕事に取り組む職場しか知りませんでした。でも、ソニー・ショックの二年ほど前から、うつ病の社員が激増しました。次から次へと新アイデアが飛び出ていたソニーがなぜ凋落したのか。
私なりに研究したところ、原因は九〇年代のトップが導入したアメリカ流の合理主義経営だとわかったのです」

秩序ある混沌、自由闊達にして愉快なる職場。これを、天外氏は「フロー」の状態と呼ぶ。フローとは、アメリカの著名な心理学者M・チクセントハイミによれば「困難ではあるが、価値あのある何かを達成しようとする自発的努力の過程で、身体と精神を限界まで働かせ切っているときに生じる、最良の瞬間のこと」を指す。つまり、かつてのソニーはフロー経営を実践した。

社員の内発的なやる気を促し、その行動の自由度を最大限に認めていた。

しかし、合理主義経営を導入した結果、経営者や上司が部下のエンジニアの自由度を狭め、管理・コントロールし、指示・命令のもとノルマを課す、といったいわば外発的な動機によって社員を動かすようになったというのだ。それは理想のフロー経営の正反対だと、天外氏は語る。

「マネジメントの手法をアメリカのマネしたためにソニーは迷走しましたが、他の大手メーカーなども似た状況に陥りました。今一度、日本企業は社員が〝燃える集団〟となるような職場環境を目指すべき。そうすれば、奇跡が起きます」(天外氏)

天外氏主宰の経営塾には全国から多くの経営者などが集まるが、その塾卒業生たちの企業の経営は軒並み好調なのだという。塾参加者には、サッカー日本代表の元監督・岡田武史氏もいる。就任したばかりのJリーグのチームを優勝に導くなど手腕には定評があったが、あるとき監督としての限界を感じ、天外塾の門を叩いた。そして、その成果をW杯南アフリカ大会で発揮した。

「以前は管理型の監督だった岡田さんは、選手の自主性を重視し、自分で考えさせるマネジメント法に変わりました。叱責や命令ではなく、選手が自分のプレーをビデオで確認しているときに、『いいドリブルだ』などとそばでつぶやいて、選手の深層意識にポジティブなメッセージをすりこんで、モチベーションを高めるような工夫をしていました」(天外氏)

(後略/別の方のお話入ります)

2012年10月 ダイヤモンド・ハーバード・ビジネスレビュー

「ソニーの創業者の一人、盛田昭夫の特集記事。」

--------天外伺朗の関連部分のみ抜粋--------

ソニー創立10周年の記念写真を提示し、創業期のソニーが“フロー“に満ちていたというストーリーを展開している。また、2003年のソニー・ショックの後、私がチクセントミハイに会いに行ったエピソードが載っている。
・・・・・以下引用(一部抜粋)・・・・・

「・・・江崎は、入社当時のソニーのカルチャーをこんなふうに語っている。
それは、一口で表現すれば“組織された混沌”
(organized chaos)であった、と。“部分的に見ますと技術者は自由奔放に仕事を進め、混沌としておりますが、会社全体としては、目標が明確でよく秩序が保たれておりました”

“秩序ある混沌”とも表現される、この状態は、アメリカの著名な心理学者であり当時シカゴ大学教授だった、M.チクセントミハイが提起した“フロー体験”とも重なる。
“フロー“(flow)というのは、“
困難ではあるが、価値のある何かを達成しようとする自発的努力の過程で、身体と精神を限界まで働かせ切っているときに生じる、最良の瞬間のこと”である。

二十一世紀初頭に迷走を始めたソニーの経営をめぐって(2003年4月の“ソニー・ショック“はその象徴)当時のCEO出井伸之と激しく議論を闘わせた上席常務の土井利忠が、チクセントミハイの“フロー“と出会ったのは、その頃だ。土井はCDの共同開発や犬型ロボット(AIBO)の開発責任者として活躍。

みずからの体験を踏まえ、かつてのソニーにあった“燃える集団づくり”を唱え、理論的背景を求めていた。そのために、チクセントミハイ教授の講演を聴きにアメリカまで出かけていった。

その会場で彼は、パワーポイントがいきなりソニーの設立趣意書第一条“真面目なる技術者の技能を、最高度に発揮せしむべき自由闊達にして愉快なる理想工場の建設”を、大きく映し出したことに度肝を抜かれた。教授は“自由闊達にして愉快なる“の箇所を特に強調し、“これがフローに入るコツなんです!”と語ったという。

ちなみに土井利忠は現在、天外伺朗という名で、人材と経営風土の開発運動を主宰している創立10周年の記念写真が語るのは、そんな“フロー”な力を発揮して“秩序ある混沌”を実現していたソニーの姿だ。江崎や土井をはじめ多くの“時代の才能”を引き寄せ、彼らの創造力を発揮させる場がそこにはあった。

それはR&Dの現場だけではない。どの現場でも発揮しうる事だ。その時、上昇気流に乗って、はるか上空を滑空しながら、地上に這い出た一匹の野ネズミの動きも見逃さない、猛禽類の集中力を発揮できる瞬間がある。

問題は、決定的なその場、その瞬間に、どんな“フロー“を実現できるか、だ・・・」