女性自身 (2010年07月27日号より抜粋) 運力をつける「自分史」のつくり方 岡田監督を成功に導いた“ 師 ”が語る 「運命のマネジメント術」

 

 女性自身 20100727日発売

 

 運力をつける「自分史」のつくり方

岡田監督を成功に導いた“ 師 ”が語る

「運命のマネジメント術」

天外 伺朗 

 

 W杯で強い闘志を見せてくれた、サッカー日本代表。

岡田監督を支えていたのは、逆境にあってもそれを乗り越える、

運命を切り開く力だった。そんな奇跡の力を身につける方法とは? 

 

 日本中を沸かせたサッカーW杯。予選全敗では? 

との大方の予想を覆す大健闘で、

侍ブルーはみごと、ベスト16入りを果たした。

その立役者の一人は、間違いなく岡田武史監督(53)だ。

 

 大会直前までのバッシングをものともしない活躍に、

どれだけ心が強いのかと不思議に思った人も少なくないはず。

 

 「このような大きな成果を手に入れることができた理由は、

  彼の運力≠ェ強いからです。

 彼のように運命をマネジメントする力があれば、

不運に巻き込ま れることなく、

その中にある目に見えない幸運を拾い出して、

自分の人生を生きていけます」 

 

 そう話すのは、運命の法則性について提唱する、作家の天外伺朗氏(68)。

 

 天外氏は東京工業大学を卒業後、ソニーに入社。

コンパクトディスク(CD)やワークステーション『NEWS』を開発、

商品化し、 ’99年にはペット型ロボット「AIBO」を世に送り出すなど、

数々の功績を残してきた研究者だ。

 

 実は岡田監督は、日本代表監督に就任する直前の07年、

天外氏が主催するセミナーに参加し、

新しいマネジメントについての考え方を学んでいたという。

 

 「2年半、岡田さんを見てきましたが、

どんなにマスコミにたたかれても、

え方がぶれることはありませんでした。

 運力が強い人は、どんなにつらい状況になっても、

慌てることなく、淡々と努力していくことができるのです」

   

 客観的なもう一人の自分を作ることが大切  

 

 運力というと、一般に「幸運を呼び寄せる力」をイメージしてしまう。

 

 しかし天外氏の語る「運力」とは、そうではなく、

自らの運命をマネジメントする力」なのだという。

 

 「運命には、一般に皆さんが解釈しているような

目に見える運命』のほかに、目に見えない運命というものもあります。

 皆さんは、目に見える運命だけにとらわれすぎています。

ですから、ボトム(人生の中で不運に襲われるとき)になると、

自分を見失い、転落してしまうのです」

 

 人生には、幸運な時期(ピーク)もあれば、

ボトムもある――そう天外氏は話す。

 

 それは波のように交互にめぐってくるもので、

ボトムを避け、ピークだけを手に入れる生き方はできない。

 

 ただし、ボトムに陥ったとき、自分を見失い、

転落すること――家族や知人の信頼を失ったり、

人の道に反した行為をしてしまうなど――は、

運力をつけることで、逃れることができる。

 

 それでは、どうしたら、その運力を身につけられるのか。

 

 「客観的に自分を見つめる、もうひとりの自分を作ることです。

ボトムに直面すると、どうしても人はジタバタします。

泣き叫んだり、周囲と険悪になったりして、

自己嫌悪に陥ってしまう。 けれども、

そんな自分を否定しないで、客観的に見つめられれば、

 ボトムから抜け出していくことができます」

 

 客観的なもうひとりの自分を見つけるには、

座禅をして瞑想することも有効だ。

私の師匠は、座禅を『坐禅』と書いていました。

屋根はいらない、ただ土の上に人が2人座っている状態、

という意味です。左側の人は、ボトムで悲しんでいる自分。

右側の人は、そんな自分を客観的に見る自分です。

 

 本来は、この2人が同じ大きさのバランスでいなければならないのですが、

 皆さんは左側の人ばかりが大きな状態になっているのです。」

 

 2人の自分のバランスがいい人が、運力が強い人といえる。

ちなみに岡田監督も、毎朝、座禅を欠かしていないという。 

 

 プラス思考、人のまね、厄除けはNG

  

 運力をつけるため、「絶対にしてはいけないこと」が3つある。

 1つめは「プラス思考」だ。

 

 「プラス思考では、深層心理まで前向きに

コントロールすることはできません。

 表面だけプラス思考をしていると、

体はどんどん壊れて体調を崩します。

 

 たとえマイナス思考をしても、

そんな自分を否定しないで受け入れることができれば、楽になります」

 

 2つめは、「運のいい人のまね」をすること。

 

 「よく、運のいい人のまねをしなさいというアドバイスを

する人がいますが、 いけません。

 運力をつけるトレーニングの第一歩は、

ありのままの自分を受け入れることです。

 運のいいほかの人の背中を追うのではなく、

運力の弱い自分をしっかり自覚して、

ジタバタしてしまう自分を受容することです」

 

 そして、していけないことの3つめは「厄除け」だ。

 

 「不運が襲ってきたら、それに直面し、

受け入れなければいけません。 厄除けは、

不運から逃れようとする気持ちの表れ。

 運力を損ないます」

 

 運力が強い人の生き方には2通りあるという。

 

 ひとつは、幸運なできごとも不運なできごとも客観的に受け止め、

淡々と生きていく生き方。

 もうひとつは、不運なとき、必死に努力をすることで、

社会的な成功を手にする生き方。

 

 岡田監督は後者のタイプだ。  

 運命の周期性を知れば次を予測できる! 

 

 波のようにめぐる幸運や不運の流れ自体を変えることはできない。

 しかし、次に起こることを予測し、心構えを準備しておくことが、

 運命のマネジメントにつながる。 

 

 そこで役立つのが、「自分史」を作ること。

 天外氏は、運命には周期性があると語る。

 

 「その周期は、人によってさまざまです。

 12年の人もいれば10年の人もいますし、

はっきりした年数で区切れない人もいます。

 しかし、幸運と不運の波は、必ず交互に訪れるものですから、

自分史をつけておけば、次にどんなことが起こるか、

ある程度予測することができるのです」

 

 方法は簡単。

 

 まず、ノートを用意し、0歳から現在までの自分の年齢を

5行 おき程度に記入していく。

 周期を見つけやすくするため、

自分の干支の年齢に、○印をつけておくのがポイントだ。

 あとは年齢の下に、その年に自分に起こったイベントや、

そのときに感じたことなどを記していくだけ。

入学、卒業、出会い、別れなど、生活の変化を中心に記入していくと、

わかりやすいと思います。

 そして書く内容は、自分自身の主観でまったく構いません。

 落ち込んだり、喜んだりしたことを、

こと細かに思い出して書いていくことが大切です」

 

 自分史を通して、あなたにも運命のリズムが見えてくるかもしれない。

 

 それが、岡田監督のような強い「運力」持った人になれる第一歩だ。

週刊現代 (2010.07.31号)07.15発売より抜粋 「岡田武史監督がスポーツマスコミを信用しない理由」 師・天外伺朗氏が本当の気持ちを明かす

 

 

 「岡田武史監督がスポーツマスコミを信用しない理由」

師・天外伺朗氏が本当の気持ちを明かす 

 

「岡ちゃんごめんね」

「期待してなくて、本当にすみません」

「よくやった」

 

 国外開催のW杯で初のベスト16進出―― 

日本代表・岡田武史監 督への評価はW杯前から

まるで掌を返したように一変した。

 

 サッカー関係者や評論家は彼を手放しで称賛、

スポーツマスコミもそれを当然のように報じ、煽った。

 

 でも、今さらそれって、どうなの? 

 3年前、岡田監督に自らが主宰する経営塾でマネジメント術を伝授した、

元ソニー上席常務の天外伺朗氏に、現在も親交のある彼の本心を聞いた。 

 

 岡田監督は、マスコミに対して極度の不信感、嫌悪感を持っています。 

 

 その起因になったのは、12年前。

' 98年のフランスW杯の直前にカズ(三浦和良)らを代表から外した後、

相当ひどい報道をされたことです。

 

 結果も出なかったので(1次 リーグ0勝3敗)、バッシングされました。

 自宅に脅迫状が届き、子供の通学もパト カーの送迎付きという状況でした。

 

 彼はこう言っていました。 

 

 「マスコミは、私たちと違って『結果』に対して何の責任も持っていないのに、

まるで自分たちのほうがサッカーをよくわかっているというような発信をし、

つまらない批判、いい加減な報道を繰り返している。

 いまや誰もマスコミに逆らえなくなってしまった」 

 

日本中が誤解している 

 

  最近は少しずつ柔らかくなってきましたが、

記者会見で岡田監督が心を閉ざし、硬い表情で木で鼻をくくったような

対応しかしなかったのはそのためです。

 

 普段の彼は冗談いっぱいでとても楽しい人柄なのに、

日本中のサッカーファンの誤解を招いてしまったわけです。

 

 私はそれを心配して、会見での態度はできるだけ改めるように

アドバイスしていたのですが、なかなか地が出せない。

 

 本人に言わせると、「会見場に近づくに従って、だんだん顔がこわばってくる」と。

 

 '98年のトラウマから、うまく抜け出せなかったんですね。

 

 「(南ア大会で)ベスト4に入ったら、記者会見をすっぽかして、

その代わりに紙一 枚を出して、マスコミの暴力を非難しようかな」なんて、

談か本気かわからないようなことも言っていました。

 

 要は、岡田監督はマスコミに対して相当な敵対心を持っていたし、

今もそれはあるということです。

 

 彼は、本来ものすごく情が深い人。

 

 逆に言えば、情が深いから、調子が出なくてもなかなか選手を

切れなかったという部分はあるかもしれません。

 中村俊輔選手については、大会直前の、イングランドとの

親善試合(5月30日)で決断したそうです。

 

 詳 細は言えませんが、私も「チームがフロー(精神的に完全に集中している

状態を指 す)に入るにはどうしたらいいか」というアドバイスをしました。

 

 私が行っている「天外塾」では、「燃える集団型」の

経営マネジメントということを中心に教えていますが、

これはもちろん組織やチーム作りのためのもの。

 

 岡田監督 は私の提唱するこの組織論に興味を持ってくれて、

'07年に代表監督に就任する直前、 全6回の講義をすべて受けてもらいました。

 

 彼は、特に優秀な塾生です。 

 

 結果だけ見て、批判  

 

 岡田監督は、本人も口にしているとおり、

もともとは「管理型」のマネジメントが得意な方です。

 コ ンサドーレ札幌でも、横浜F・マリノス

でも、管理型の指導で成功されている。

 

 ところが、その管理型に彼は限界を感じていた。

 

 管理型マネジメントという のは、ある程度結果が計算できる。

 

 監督、あるいは社長やトップの能力が高ければ、

一定の成果が高い確率で得られますが、

その一方で「奇跡」は起きないわけです。

 

 簡単には説明しきれませんが、要は言語や論理を司る大脳の

新皮質に頼りがちなのが、 管理型です。

 

 対して、「燃える集団型」は、運動を司る大脳の旧皮質の働きを

呼び覚まし、本能を活性化させることで、管理型以上の結果、

つまり奇跡が期待できる。

 

 たとえば、南ア大会の一次リーグの対戦国を見て、トルシエ(元日本

代表監督)は「オランダ戦は捨てろ」と言っていました。

 

 これは管理型の典型的な発想。

それ でうまく行く場合もありますが、岡田監督はそれをしなかった。

 

 結果的には負けましたが、オランダ戦も勝ちに行った。

 

 選手たちは、決勝トーナメントも含め全4試合で完全にフローに入っていたし、

どんなに強力な相手でも勝ちに行く「燃える集団型」のチーム になっていた。

 

 2年半の間、岡田監督はチームと選手たちに徹底した意識改革を行い、

それを本番での成功に結びつけたわけです。

 

 これは天外塾で教えたこととは無関係ですが、

岡田監督は今回のW杯が現地の冬に行われることから、

まず初めに「走るサッカーをやろう」 と考えました。

 

 そこで、特に陸上関係者のアドバイスを受け、サッカーの試合を分析したのです。

すると、90分の間、かなりの時間を選手たちはゆっくり走っていた。

 

 ところが、サッカー ではダッシュ力が重視され、

みな練習ではダッシュを主に繰り返しています。

 

 マラソン選手などのような持久力に必要な筋肉は

あまり発達していないということが わかっ たのです。

これでは90分間走り切れない。

 

 そこで、マラソン選手の走り方を取り入れた。

代表選手一人ひとりの状態を良く観察し、

それぞれ個別のトレーニングメニューを課して、2年前からそれを実行していた。

 

 これはほんの一例ですが、結果はみなさんがご覧になったとおりです。

   

 たとえば、遠藤保仁という選手は、かつては70分ほどで息切れする選手でした。

 

 私が遠藤の姿に感動したのは、彼が最後まで走り切っていたから。

 

 これは岡田監督の成果ですが、そういう具合に選手たち一人ひと

りを 育てたわけです。

 

 試合の結果は神様が決めることだけれども、選手はきちんと育って いる。

 

 天外塾では、「人間性経営学」と言っていますが、「燃える集団型」は

人を育てるマネジメントであり、その点では日本代表は大成功した。

 

 ところが、スポーツマスコミは岡田監督が行ってきた地道な指導には

これまで目を 向けず、一試合ごとの結果だけを見て監督やチームの批判 を続けた。

 

 それを彼がどう 見ていたかは言うまでもないでしょう。

 

 岡田監督は、帰国後は、とにかくよく睡眠をとっているよう ですね。

 

 彼と食事をとる約束をしているので、たっぷり苦労をねぎらいたいと思いま す。

週刊現代 2010/7/10号より抜粋 大研究「運がある人」「ツキがある人」   第1章 「ツキ」「幸運と不運」には法則がある・・・より

 

 (前略) 元ソニーの研究開発者で、コンパクトディスク(CD)やAIBO(アイボ)などの生みの親でもある天外伺朗氏は、こう断言する。

 「私は運命には法則があると思います。たとえば、運命には周期性があり、幸運にめぐまれる『ピーク』と、不運に襲われる『ボトム』を繰り返しますが、その周期は12年の人が多いようです。

 それを検証するために、私は自分史を作って調べてみました。

 その結果、私自身、会社に入ってからCDを開発したとき、ワークステーション『NEWS』を開発したとき、AIBOを開発したときの3つのピークは、すべて12年の周期になっていました。これは算命学という東洋占星術の説くところと同じです。

  私の主宰する、経営者むけの天外塾の塾生たちに自分史を作ってもらっても、全体の約25%は12年周期でピークとボトムが現れている。これは偶然という言葉ではけっして片付けられない数字だと思います」

 天外氏によれば、運の周期においてもっとも大切なことは、ボトム(不運)の時期 の乗り切り方だという。

 「ボトムで不運から逃れようとして悪あがきをすると、 転落する可能性が高くなります。逆に不運を避けようとしないで、意識してジタバタすれば、私が『運力』と呼ぶ力が強化されていきます」

 天外氏は、「運力」は「好運を呼ぶ力」という意味ではなく、「自らの運命をマネジメントする力」と定義している。

「3年前、天外塾で学んだサッカー日本代表の岡田武史監督は運力が強いので、どんな状況でも着実に努力することができます。

 当時、日本代表は低迷していましたが、彼は、選手が90分間走り切るためのトレーニング方法を調べ、それを2年間にわたって代表選手に実行させました。

 それが南アフリカW杯でカメルーン 代表チームより 7%走り勝つという成果を生み、強敵にも走り負けないという結果につながった。

 ボトムで鍛錬し、運力を身につけたからこそ、W杯の本番でチームをピークに持ってこられたのです。」

 

 天外氏は、「努力もしないで好運を祈っても意味はない」とも話す。

 運命を論じるとともに、努力の重要性も強調しているわけだ。 (後略)

夕刊フジ 2010/7/2号(2010/7/10発売)より抜粋 W杯秘話 岡田監督が心酔する経営塾の正体 岡田ジャパン快進撃の陰にソニー元上席常務主催の経営塾あり

 

 サッカーW杯で国民に深い感動を与えた日本代表。実は快進撃の陰に、元ソニー役員が主宰する経営塾の存在があったことは、ほとんど知られていない。

 選手管理に自信を失いかけていた岡田武史監督(53)はこの塾と出会い、燃える集団を作るにはどうすればいいのかを学んだ。その経験は南アフリカのピッチで見事に結実した。

 

 燃える集団作る

  

 この経営塾は、カリスマ技術者として知られる元ソニー上席常務、土井利忠氏(68)=ペンネームは天外伺朗(てんげ・しろう)氏=が主宰する「天外塾」。参加者には、中小企業経営者や大手企業幹部、経営コンサルタント、公認会計士らがいる。

 天外氏は犬型ロボット「AIBO(アイボ)」など、ソニーの一時代を築いた製品の開発を担当した伝説の技術者だったが、2006年にソニーを退社。その前年に立ち上げた天外塾の活動を本格化させた。

 ソニー時代、天外氏がチームリーダーを務めたアイボなどの開発チームは「メンバーが意欲に燃え、ありえないほどの成果を残した」(天外氏)という。塾では「燃える集団」に芽生える意識ややる気を脳科学や心理学の観点から論理的に説明し、それを導き出す手法を教えている。

 「理論派」としてコンサドーレ札幌、横浜Fマリノスで成果を上げてきた岡田監督。だが、管理型の指導に限界を感じ、07年、ある経営コンサルタントの紹介で天外塾のセミナーに参加した。

 「『燃える集団』を作ることに共感し、その年(07年)、天外塾に通い続けた。そして、チームに劇的変化をもたらす方法を模索し始めました」(天外氏)

 塾で教えてもらったことをサッカーに応用した岡田監督は、昨年末に都内の大学で講演した際、こう語っている。

 「大脳は、本能に近い旧皮質と、そのまわりにあって物事を論理的に考えたり、言葉をしゃべったりする新皮質でできている。本来、スポーツは旧皮質を使ってやるべきだが、日本人は新皮質で考えながらやっている。ある意味、旧皮質を使って直感的に試合をしなくてはならない」

 

 デンマーク戦後に感謝メール 

 

 天外氏によると、これこそが「燃える集団」を作るために必要なことという。

 「岡田監督は選手が考えすぎないよう、シンプルにボールをつなげとだけ指示し、皆でビデオを見ているときに監督自身が『いいドリブルだ』とつぶやくことで、直接メッセージを選手の旧皮質にすり込むという工夫をしました」(天外氏)

 各選手に、自分のいいプレーの映像だけを集めたビデオを見せるという手法も、「燃える集団」に導くのに有効だったとされる。

 「意識ややる気が『燃える集団』の状態になると、奇跡が起きます。日本代表がW杯で格上チームに2勝し、決勝トーナメントに進出したこと自体が奇跡で、それを証明した」(天外氏)

 日本代表がデンマーク戦に勝利し、決勝トーナメント進出を決めた625日、天外氏のもとに岡田監督から1通のメールが届いた。「決勝トーナメントも頑張ります」という内容だったが、そこには塾で学んだことに対する感謝の念が込められていた。

 

 日本代表の活躍を契機に、天外塾は、行き詰まりを感じている企業や、成績が低迷するプロスポーツチームから注目を浴びそうだ。 

週刊文春 2010/05/12発売号より抜粋 「岡田監督知られざる『スピリチュアル伝説』」

 いよいよサッカー日本代表が決定した。エース中村俊輔の不調、国際試合での惨敗。不安要素は尽きず決勝トーナメント進出が危ぶまれるが、意外にも岡田監督本人は、「ベスト4入り」に自信を見せているという。そのウラには、スピリチュアルな師の支えがあった――。

 

  五月十日、六月に開幕するサッカーのワールドカップ(W杯)南アフリカ大会に臨む日本代表メンバー二十三人の名前が発表された。

 「チームが勝つために、どういうタイミングでどういう選手がいるかで選んだ。力のある選手を上から二十三人選んだわけではない」

 都内のホテルで記者会見に臨んだ岡田武史監督(53)の表情は、硬かった。

 ご存知の通り、岡田氏が代表監督としてW杯に挑むのは、今回が二度目だが、最初の九八年フランス大会では、このメンバー選考をめぐり、日本中が騒然となる“事件”があった。 

「カズこと三浦知良(現・横浜FC所属)の“落選”です。日本のエースだっただけに、その後の“岡田バッシング”には凄まじいものがあった。だから今回のメンバー発表でも、岡田さんは相当ナーバスになっていた。視察に訪れたJリーグの試合会場でも、徹底してノーコメンント。発表前日には、予定していた視察もキャンセルして自宅に籠もった。代表のスタッフでさえ、二十三人の名前を知らされたのは、発表当日の朝でした」(サッカー担当記者)

 八シーズンにわたり海外でプレーし、今年凱旋帰国したMF中村俊輔(横浜FM)、主将候補のDF中澤佑二(同)、欧州リーグで今年ブレイクしたMF本田圭佑などが順当に選ばれ、さらに昨年九月に右脛骨を骨折、代表入りが絶望視されていたGKの川口能活(磐田)が“サプライズ”選出された。

 一方で、毎回のことながら、涙を飲んだ面々もいる。「昨年のJリーグ得点王で今季も得点ランクのトップを走る前田遼一(磐田)と、同じく昨季のリーグMVP小笠原満男(鹿島)です。特に小笠原は、『お金を払ってでもW杯に行きたい』と語っていただけに、ショックでしょう」(同前)あるサッカージャーナリストは、この二人については、過去に岡田監督との“確執”があったと語る。

「前田は昨年代表に招集された際、岡田監督が求めたプレーを、『自分にはできない』と言ったそうです。以来、代表には招集されてない。一方の小笠原も、中村俊輔の代役として招集された試合での動きが意に沿わなかったようで、岡田監督が面と向かって『(所属クラブ)鹿島のやり方を持ち込むんじゃない!』と、叱り飛ばしたのを、何人かの選手が聞いてます」

 会見で小笠原を選出しなかった理由を問われた岡田氏は「選ばれなかった選手へのコメントは避けたい」と不快感を露わにした。

 「二十三人のうち、二十五歳以下の選手がわずか五人で、平均年齢二十七・八歳。日本サッカーの将来を考えると、もっと若い選手を入れておくべきです。またセンターバックの中澤と闘莉王の控えとして、岩政大樹(鹿島)が選出されましたが、代表経験はわずか二試合で、二人の代役をこなせ、というのは荷が重過ぎる。問題は二年半の準備期間がありながら、チームの要となるポジションの控えさえ準備できなかった岡田監督にあると言わざるを得ない」(スポーツ紙デスク)

 〇七年にイビチャ・オシム前監督が脳梗塞で倒れたため、急遽、二度目の代表監督に就任した岡田監督だが、ここに至るまでの道のりは、苦難の連続だった。W杯予選を突破した直後、岡田監督は凱旋記者会見で次のように語った

 「(W杯で)ベスト4に入ることに向かって闘志を出していきたい」

 だが今年の二月の東アジア選手権で、ライバルの韓国にホームで一対三で敗れると、「岡田辞任」を求める声が澎湃と沸きあがった。W杯前、国内での最後の試合となった四月のセルビア戦では、主力を欠いた相手に、〇−三で惨敗。

 「就任以来、岡田監督は『特定のメンバーに頼ったサッカーはしない』と公言してきましたが、セルビア戦後の会見では一転、『メンバーが欠けてしまうと同じ戦い方はできないなと感じた』。肝心の目指すサッカーのコンセプトも、攻撃的なサッカーを掲げて4バックを採用してきたのに、セルビア戦後は守備的な3バックの導入を示唆するなど、ブレてしまった」(前出・サッカー担当記者)

 岡田監督の動揺は、選手たちにも伝わっている。チームのエースである中村俊輔でさえ「岡ちゃんは、もうちょっとやってくれると思ったんだけど・・・・」と、周囲に漏らしているという。

 

惨敗して「スッキリした」

 日本サッカー協会の犬飼基昭会長も岡田采配に疑問をもち、解任を考えたこともあったという。早くも“後任”として、元浦和レッズ監督のブッフバルト氏の名前も挙がった。

 それでも岡田監督本人は、「ベスト4」入りに自信を見せているようだ。その根拠はどこから来るのか。

 「実は、W杯ベスト4という目標は、岡田さんが個人的に敬っている『喝破道場』という施設を営む禅僧の方が、示唆したものだと聞いています」(同前)

 香川県高松市五色台。遠く瀬戸内海を望む景勝地に「喝破道場」はある。<自給自足の禅的共同生活を通じて、青少年及び一般社会人の情操の陶冶と身心の錬磨を図り、個性豊かな人間を育成することを目的とする>(HPより)

 同施設の理事長を務める禅僧、野田大燈師と岡田氏との交流は、岡田氏が横浜Fマリノスの監督をしていた頃まで遡る。当時野田師がいた横浜の禅寺に、マリノス関係者一同と、正月の必勝祈願に訪れたのだ。

 当の野田師に話を聞いた。

 「その後、平成十八年に私は香川に戻ったんですが、ある日、岡田さんがひょっこりお見えになって、『実は私、監督辞めたんです』と、挨拶に来られたんです」

 座禅と農作業に明け暮れる、喝破道場での生活を体験した岡田氏は、「是非仲間にしてください」と、その場で入門を決めたという。

 「代表監督に就任されたときは、『いろいろ熟慮しました。受けることにしました』という電話があったので、『それが一番いいんじゃないですか』とお伝えしました。監督に就任されてからは、こちらには一度も来られてません。専ら手紙かメールですね」

 惨敗を喫したセルビア戦の直後にも、岡田氏からのメールが届いたという。

 「『これでスッキリした。逆にやる気がわいてきました』という内容で、『落ち着いたら伺います』とも書いてあったので、短く『静かにお待ちしております』と返しました。勝負というのは、勝ちにこだわりすぎると、心が自由でなくなる。徹底的に負けたことで、勝ち負けにこだわらなくなったんだな、と思いました。ここからが岡田監督の本領発揮でしょう」

  では、ベスト4の目標も野田師が示唆したのか。

 「昔のことは忘れました。そうかもしれないけどね。そういえば、こんな話をしたことがあります。古武術に『遠当ての術』というのがある。相手と相対したときに、多くの人は相手の胸元を突こうとする。しかし達人は、胸元じゃなくて、その後ろにある背骨を突こうとする。すると胸元だけを突こうとするより、威力は大きいんです。」

 野田師のほかにも、京セラ創業者の稲盛和夫氏、琉球空手の達人で“気の空手”を標榜する宇城憲治氏など、岡田氏が折にふれて教えを請う人物は枚挙に暇がない。

 企業経営者のための私塾「天外塾」を主宰する天外伺朗氏、本名・土井利忠氏もその一人だ。氏はソニーでCDやロボット犬AIBOなどの開発に携わった“伝説の技術者”として知られるが、近年では<個が個を離れて、全体としてひとつの宇宙と融合し、一体感を増していく>ことを意味する「ホロトロピック」という概念を提唱するなど、スピリチュアルリチュアルな分野にも活動の幅を広げている。

 その天外氏が語る。

 「岡田さんが天外塾に来たのは〇七年。最初の講義で脳科学の話をしたら、ハマっちゃった。脳には、人間になってから発達した新皮質と、それ以前の爬虫類時代までに発達した旧皮質がある。新皮質は、例えば複雑な法律を読み解くのとかは得意なんだけど、運動のように本来旧皮質がやるべきものに、新皮質がしゃしゃり出てくると混乱する。ゴルフのイップス病はその典型です。気功も瞑想も座禅も、全て目的は新皮質の働きを弱めて、旧皮質を活性化することにあります」

 高校時代はパーマに腰パン

「ボールが止まって見える」ような状態をスポーツの世界では「ゾーン」と呼ぶ。同じ状態を天外氏は「フロー」と称し、旧皮質が活性化し、フロー状態に入った「燃える集団」が企業経営においては、奇跡を成し遂げると説く。岡田氏は、天外氏との対談で、脳科学などに興味を持った理由として、選手が自分の言った通りにしか動かないことに「自らの限界を感じた」から、と語っている。

<座禅、気功、記憶セミナー、マインドマップ、古武術・・・とにかく怪しいものも含めて(笑)、いろんなことにチャレンジしました。でも結局、自分に対する答えは出ませんでしたね。その時に出会ったのが「天外塾」です。 社員が自然と動きだす」経営というものに非常に興味を持って参加したんです>(「WiLL」二〇〇九年四月号

 岡田氏は今年一月に行われた天外塾の断食会にも参加、そこから日本代表の指宿合宿に直行したという。

 「三日間の断食で普通、宿便が出るんだけど、岡田監督は最後まで出なかった。腸が固いんですね。どういうことかと言うと、ものすごく強い意志で自分をコントロールしてるということ。最後には出ましたけど、あんなに出なかった人は初めてですね」(天外氏)

 天外氏によると岡田氏は「選手たちがなかなかフローに入らない」と悩んでいた、という。

 「今年に入ってチームの具合が悪くなったでしょ。一つの可能性としては、監督の評価を気にするとフローに入れないわけですよ。『オレを選ばないのはバカだ』くらいの気概でやるべき。本田圭佑なんかはそうでしょ。逆に国内組は、従順で言われたことは一生懸命やるけど、そういう気概が見える人が少ない」(同前)

 その天外氏は岡田氏に、スポーツ界のメンタルトレーニングの第一人者、福島大学の白石豊教授を引き合わせている。白石氏はもともと体操選手で、北海道日本ハム・ファイターズのメンタルトレーニングを担当したことなどで知られるが、岡田氏は毎月のように福島に白石氏を訪ねているという。

 「最近では、毎月一回は会ってます。『最初は自分だけがベスト4と言ってたけど、一人、二人と、本気でやったろうかな、という選手が出てきた』と仰ってます。世界ランクで四十何番のチームがベスト4に入る=奇跡を起こそうとしたら、チーム全体がゾーンとかフローに入るしかない。岡田さんは、一%でも可能性を上げようとしているんだと思います。」(白石氏)

 それにしても、こうした岡田氏のスピリチュアル好きは、どこから生まれたのか―。

 岡田氏は一九五六年、大阪府の帝塚山で生まれた。

 岡田家は代々医者の一家で、父は産婦人科医。裕福な家庭の子女が通う帝塚山学院小学校に通っていた岡田少年の印象を、かつての同級生はこう振り返る。 

「明るくて悪戯好き、頭もよく、クラスのリーダー的存在でした。当時は野球少年でしたが、運動神経抜群で、女子の間ではかなりの人気でした(笑)。もっとも本人に言わせると、『怒られた記憶しかない。先生に“帝塚山学院にふさわしくない”とまで言われた』そうです。卒業文集で、医者を継ぐつもりはないと宣言し、『社会に認められ、尊敬されるのなら、どんな職業でも悔いはない』と、小学生とは思えない決意を綴っていたのが印象的でした」

 岡田少年は帝塚山学院の中学には進まず、公立の住吉中学校に入学。野球部のスパルタ式練習を嫌い、サッカー部に入る。指導者がいなかったため、自ら指導書を大量に買い込み読破、部室には「サッカー文庫」が出来上がったという。

 高校には行かず、ドイツにサッカー留学することを目論んだというが、父親に説得され、地元の進学校、天王寺高校に入学する。

 「当時のサッカー部は、“走れ、頑張れ、水飲むな”の根性論でやってた部分もあったんですが、一年下に岡田が入ってきて『根性も大事だけど、もっと合理的にやらないと優勝できませんよ』と言うんです。

 プレーはわがままで、ゴール前では絶対にパスせず、ひたすらドリブル。三人抜いて、四人目に潰される感じかな。生意気だったけど、一目は置いてました。一年の秋ごろからパーマを当ててきて、二年の夏ごろにはラモスみたいになってた。さらにユニフォームも腰までずらして、“腰パン”状態。異様な格好でしたよ(笑)」(サッカー部の先輩、長峰淳一氏)

 天王寺高校には制服がなく、アロハシャツで登校してきたこともあったという。

 「岡田は裾を絞ったボンタンをはいて、メガネもレンズを半分切ったようなものをかけて、格好はつっぱりタイプだったね。ガールフレンドはいなかったんじゃないかな」(同級生)

 高校三年時には、ユース代表に選ばれたため、受験勉強ができなかった。

 「サッカー推薦で大学に入ることもできたんですが、岡田は『サッカー枠はイヤだ』と言って、一浪して早稲田の政経に受かった」(同前)

二歳年上の妻と「学生結婚」

 早大サッカー部でも、その存在は異彩を放っていた。岡田氏の親友、吉浦茂和氏(現・築陽学園高校サッカー部監督)が振り返る。 「僕は日本大学サッカー部だったんですが、メガネをかけてヘディングする『ワセダの南こうせつ』といえば、大学サッカー界で知らない人はいなかった(笑)」

 二歳年上の妻、八重子さんとは学生結婚。ある日突然「会わせたい人がいる」と大阪の実家に八重子さんを連れて帰り、そのまま結婚を決めてしまったという。

 就職にあたっては、環境問題を告発するため、マスコミ志望だったというが、TBSにあえなく不合格。結局、サッカー部が日本サッカーリーグ(Jリーグの前身)に所属していた古河電工に入社。日中は会社員としての仕事をこなしながら、選手として日本代表にも選ばれている。

 現役引退後は、本場のコーチングを勉強するため、家族を連れてドイツに移り住み、九三年のJリーグの開幕直前に帰国、九四年から加茂周監督(当時)のもとで日本代表コーチを務めたことが、その後の岡田氏の波乱に満ちたサッカー人生の“幕開け”となった。

 友人、知人たちが語る岡田氏の素顔は、頑固すぎるほど頑固だが、根っから明るくて冗談好き、というものだった。それだけに、誰もがテレビのインタビューに答える岡田氏の仏頂面を、「あんな表情をみなことがない。代表監督のプレッシャーがそれだけ大きいんでしょう」と首を傾げる。

 あるサッカー協会関係者は、最近の岡田氏のこんな“習慣”を語った。

 「合宿のときは、選手を集めたミーティングが終った後、ほぼ毎晩、監督以下スタッフ数名だけの『裏ミーティング』があります。岡田さんはコーチが買ってきたワインを飲みながら、選手起用や戦術などについて『オレはこう思うんだ。なあ、そうだろう?』とスタッフに同意を求めるそうです。スタッフが『そうですね』と応じると、岡田さんは『そうだよな』と頷いて、ようやく今後の方針を決めると聞きました」 五本の指に余る「師匠」たちの存在もまた、孤独な指揮官には欠くべからざる存在なのか。前出の吉浦氏は、昨年、久しぶりに博多で岡田氏と酒を酌み交わしたときの様子をこう語る。

 「私が『ベスト4なんて無理やろ』と言うと、岡田は『いや、絶対いける』と確信している感じでした。一方で、自分を落ち着かせるために会っている先生がいる、ということも言ってました。『とにかくその人言葉を聞くと安心して決断できるんだ』と」 前出の野田師が語る。

 「結局監督の仕事というのは、いかにして選手たちを自分の手足として動かせるか、ということ。監督と選手が一心同体になるためには、監督だけじゃなく選手も座禅を組まなければいけんわな。今度来られたら、そう言おうと思っています」

 泣いても笑っても座禅を組んでも、W杯まで残された時間は、あと一ヵ月――。

朝日新聞 2010.03.20付より抜粋 21世紀のサムライ論 第2部 決断がチームを作る 「起爆剤に託す道も」

 ソニーの上席常務を務めた天外伺朗(68)は、CDやペットロボット「AIBO(アイボ)」の開発で、意志や信念の力で組織が予想を超える成果をあげる経験をした。それをもとに2006年、成果主義へ傾く前のソニーにあった「人間的マネジメント」を薦める「マネジメント革命」を書いた。指示や命令が少ない上司、上司の指示を無視する部下の「やり過ごし」など「ソニー神話」を生んだ自由闊達な気風を理想とした。
 感情や感覚を重視した野中郁次郎の経営学とも一致するが、天外は人工知能の開発にかかわった経験から、脳の機能や心理学にも結びつけた。
 06年途中に横浜マリノス監督を辞任した岡田武史(53)が、天外の主宰する経営塾に参加したのは翌07年。再び日本代表監督となる直前だった。
 選手を駒として組み立てる「机上の戦術論」が得意と自認していた岡田。だが、それでいいのか、と考え始めていた。米国のスポーツ界で注目されていた「ゾーン(無心の状態)」に関心を持ち、ほぼ同じ意味を持つ心理学の「フロー状態」を論じていた天外に興味を持った。
 「スポーツと経営では違うから、役に立てるだろうかと懸念した。でもセミナーに出席してもらって、お互いに気づいていることが同じだとわかった」と天外。互いが共鳴するように、持論を支え合うようになった。
 例えば、邪念を捨てて無心になるという意味で「危機的なときには邪念が入るので直感が外れやすい」と言った天外に岡田は「僕は違う。追い込まれていないときに直感を使うと邪念が出る」と返したという。岡田がしばしば使う脳の機能に言及するコメントは天外譲りだ。そういう経緯を天外が一冊の本にまとめ、岡田はその帯にメッセージを寄せた。
 W杯イヤーの今年、岡田は静岡県熱海市で開かれた天外の瞑想断食会に参加してから、日本代表の始動となった1月の鹿児島・指宿合宿へ向かった。
 続く親善試合と東アジア選手権の4連戦の後、韓国戦で大敗した岡田に天外は厳しいメールを送った。「中沢と闘莉王の連係が悪くなっている。合宿は失敗だったんじゃないか」。2人はその後、意見を交換しあった。
 指示するとうまくいくが、選手に任せるとそれが崩れる。岡田の悩みに対し、天外はこう助言する。
 「一人ひとりの内側からわき上がってくるようなやる気が必要。指導者の言うことをよく聞く人は、そういう気持ちが弱い。私はアイボの時に苦労した。燃え上がるような組織を経験した気骨がある人を加えるしかないでしょう」
 となれば、チーム一丸となって優勝した04年アジアカップの経験者か、Jリーグの強豪のリーダーか。天外や野中が薦めるように、自分のやり方に一言ありそうな選手や、異質で使いにくそうな選手にチームの行方を託してみるのが、「新機軸」を生み出すきっかけになるかもしれない。
 南アフリカで代表ユニホームを着るのは23人。メンバー発表の日は5月1014日で日本協会が調整している。

文藝春秋3月号より引用 井 深 大 「仕事の報酬は仕事」    天外 伺朗 (作家・元ソニー常務)

 文藝春秋3月号より引用井 深 大「仕事の報酬は仕事」 

天外 伺朗 (作家・元ソニー常務 

 

 創業から約二十年を経た一九六五年、ソニーは存亡の危機に直面する。折からのカラーテレビブームに乗り遅れたばかりか、独自技術を搭載した新製品は大赤字を積み上げた。破綻へのカウントダウンが始まろうとする中、創業者で社長の井深大は何を決断し、どう乗り越えたのか。危機の前年に入社し、後にCD(コンパクトディスク)や犬型ロボット「AIBO」などの開発を主導したことで知られる天外伺朗元上席常務が、長く深く接してきた井深氏の実像を語る。  

 今日のMBA的な感覚でいえば、井深さんは明らかに経営者失格です。合理的でも常識的でもありません。

 六四年十月の東京オリンピックを契機にカラーテレビが爆発的に売れ出したとき、ソニーはまだ対応機種を出せずにいた。他社はすべて「シャドウマスク」という技術方式を採用していましたが、ソニーは独自開発した「クロマトロン」という方式にこだわったからです。

 ようやく発売にこぎ着けたのが六五年六月。ところがこのテレビは良品率が悪く、工場原価で五十万円もしたので、本来なら約三倍の百五十万円前後で売らなければペイしないのに、競合する他社製品に合わせて十七〜十八万円で売りました。しかも、さすがに「シャドウマスク」より画像が明るくてきれいだったため、人気も高かった。おかげで赤字ばかりが膨らんでいったわけです。

 井深さんは社内で何かあると、創業メンバーの一人である安田順一さんのもとに来て話し込むのが常でした。「相談する」というより、一方的に安田さんに悩みを聞いてもらう、という感じです。それもヒソヒソ声ではなく、周囲にも聞こえるような大声で。当時、入社一年目だった私の実験机は、その安田さんの席の近くだったため、会社のあらゆる機密情報を日常的に知ることができました。クロマトロンの件も例外ではありません。日増しに表情が曇っていく井深さんを見るにつけ、「いよいよ潰れてしまうのか」と本気で心配した覚えがあります。 ふつうに考えれば、この危機を回避する最短の道は、クロマトロンをあきらめて他社と同様にシャドウマスク方式を採用することでしょう。カラーテレビはまだまだ売れていたし、部品も他から調達すれば済む。これによって経営は一気に立ち直ったはずです。

 しかし、井深さんの口癖は「人のやらないことをやる」。この期に及んで、クロマトロンでもシャドウマスクでもない、第三の方式を開発しようと言い出したのです。これは正気の沙汰とは思えない、今から考えてもゾッとするような経営判断≠ナした。研究開発の世界は、俗にセンミツ≠ニ呼ばれます。成功するのは一千のうち三つ、つまり〇・三%程度しかないという意味です。その微かな可能性に社の存廃を賭けようというのですから、無謀としか言いようがありません。

 もちろん、さしもの井深さんも、相当の度胸を要したことは想像に難くありません。後に「トリニトロン」と呼ばれる新方式の基礎実験に成功したとき、井深さんはやはり安田さんのもとに駆けつけ、「これで行ける。行くっきゃないんだ」と強く何度も繰り返しました。自身に言い聞かせ、鼓舞していたのでしょう。

 結果的に、この判断がソニーを救いました。六八年に発売されたトリニトロン・テレビは爆発的にヒットし、以後約三十年にわたって会社の収益を支え続けたのです。しかも自社開発だったために、優れた技術やノウハウがすべて社内に蓄積され、また先進技術を追求する会社として対外的なブランド・イメージが向上し、そして何より、自信と誇りと情熱を持ったエンジニアが何人も育ちました。これらが、その後の成長の礎になったことは言うまでもありません。

 ただし、井深さんは常々、「トリニトロンをオブソリート(時代遅れ)にする技術は、われわれが自ら開発しなければならない」とも述べていました。残念ながら、私を含めた後進がその教えを守れなかったことは周知のとおりです。

 ではなぜ、井深さんはこういう大きな決断ができ、しかも成功に導くことができたのか。正直なところ、私もまだはっきりとは解明できていません。しかし、いくつかポイントを挙げることはできます。

 まず、井深さんがたぐい稀な「運力」の持ち主だったことは間違いないでしょう。ここでいう「運力」とは、単純に「幸運を呼ぶ力」という意味ではなく、「逆境で踏ん張れる力」を指します。自分の運命を信頼しているからこそ、危機に際しても適切な判断ができたのだと思います。

 その背景には、多くの経験の蓄積と深い洞察があります。トリニトロンの実験が成功したとき、井深さんは安田さんに向かって「ビジコンをやっていてよかったね」ともつぶやいていました。「ビジコン」とは、かつて大失敗したビデオカメラで使うための撮像管のプロジェクトのことです。その失敗したプロジェクトで育ったエンジニアたちがトリニトロンをつくり上げたのです。多くの失敗を積み上げ、人が育ち、豊な技術を社内に蓄積して、はじめて一つの成功が生まれる。したがって開発を本業とする会社は、むしろどんどん失敗しなければいけない。こんな確信が、井深さんの「運力」を下支えしていたのでしょう。

  愚者の演出  

 そしてもう一つ、井深さんは「サムライ」を育てる名人でした。「サムライ」とは、新しいビジネスを開拓したり、困難な局面を打開したり、技術革新を推進したりできる気骨のある社員のことです。

 素顔の井深さんは、まるで子供のような人でした。わがままで、何か気に入らないとプイと横を向いてしまったり、興味を失うとたちまち沈黙してしまったり。しかし社内には、「井深さんのためなら死ねる」と言って憚らないエンジニアが大勢いました。トップである井深さん自身が、部下であるエンジニアに最大限の敬意を払っていたからです。

 これについては、私にも鮮烈な記憶があります。入社後すぐ、井深さん直属のプロジェクトに加わっていたときのこと。実験中の私に、井深さんはしょっちゅう声をかけてきました。最初は「うるさいオッサンだな」と思ったのですが、そんな印象はすぐに消えました。上司として部下を指導・監督するという感覚ではなく、「あなたは専門家だから、私に教えてください」というスタンスだったからです。ちょうど安田さんが井深さんの話の聞き役だったように、エンジニアに対しては井深さんが聞き役に徹したわけです。たとえ相手が私のような新入社員であっても、この姿勢は一貫していました。

 敬愛するトップからこのような態度で迫られれば、部下としては必死に教えざるを得ません。だから寸暇を惜しむように勉強して、よりよい結果を出そうとした。また井深さんもそれを応援するように、「仕事の報酬は仕事だよ」とよく言っていました。いい仕事をすると、もっとおもしろい仕事ができるようになる。これこそ人生最大の喜びじゃないか、というわけです。こうしてエンジニアは純粋に探求心を燃やし、「サムライ」に育っていったわけです。 こういうトップのあり方を、私は「愚者の演出」と呼んでいます。概して自分に自信のないトップやリーダーは、部下に対して虚勢を張って「賢者の演出」をしたがるもの。しかしこれでは、部下は萎縮して伸びません。それに対して「愚者」を装えるのは、自分に自信があり、かつ部下との間に強固な信頼関係があるからです。いくら井深さんが愚者のふりをしても、誰もそのとおりには思っていません。そのクサい演技を意気に感じて、ますますこの人のためにがんばろうという気になれたのです。

 実際、本人の好むと好まざるとに関わらず、社内で井深さんは神様≠ナした。例えば、ちょうどトリニトロンの開発が始まったころ、私は井深さんから、東北大学に一年間留学して小型テレビの上に乗るような指向性のあるアンテナを開発せよ、命じられました。当時の常識では不可能と思われていました。

 しかしこのとき、不安におののく私を、上司や先輩は口々にこう言って激励してくれたのです。「井深さんがやれと言っているんだから、かならずできるはずだ」 励ましは嬉しかったのですが、いささか宗教的な匂いを感じて辟易した覚えがあります。私は一年で成果を出すことはできませんでしたが、さらに二年延長した結果、常識を覆して開発に成功。図らずも神様≠フ言うとおりになってしまったわけです。これは私のエンジニア人生の中で、最も独創的な成果だと思っています。

 ついでにいえば、この間にスキー検定一級にも合格しました。当時のソニーには、細かな管理などせず、仕事の裁量をすべて本人に任せる鷹揚さがありました。だからこそ個々人が伸び伸びと働き、実力を余すところなく発揮できたのです。(以上)   

週刊現代オンラインより抜粋 (天外伺朗が提言 「1ドル=50円時代」の準備をしなさい)2009年12月14日号

 

ドバイ・ショックによる円高で、輸出産業は一挙に利益が数百億も吹き飛ぶ恐怖を味わった。しかし、日本企業を待ち受ける苦境はそれどころではない。元ソニー常務の天才エンジニアが提言する。       

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ドルが大暴落する

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 アメリカでも日本でも、かつて製造業が隆盛をほしいままにしました。私は、それを身をもって体験してきた世代です。

 テープレコーダー、トランジスタラジオ、テレビ、そしてレーザー技術も、すべてアメリカの発明品です。

 そのアメリカで、いまやGDP(国内総生産)に占める製造業の割合が'70年代の半分にまで落ち込み、12%を切っています。GMの車は品質でも価格でも国際競争力を失い、政府の巨額の支援のもとに再生を図っています。製造業全体の凋落のなかで、自動車産業だけが救われるのは難しい。

 アメリカの自動車産業は、非常に裾野が広く、根が深い産業ですから、アメリカ経済全体に致命的な打撃を与えるのは必至だと見ています。そうなると、自動車産業の破綻をきっかけにして、'12年ごろにはドルの信用失墜と大暴落がありうる、と考えていました。ドルの大暴落とは、具体的に言うと「1ドル=50円の超円高ドル安時代」です。ドルは緩やかに下がりつづけ、どこかの時点で急激に下落して50円を切る、と予想していました。

 しかし今回のドバイ・ショックによって、その時期は大幅に早まるかもしれません。いつ1ドル=50円時代が来てもおかしくない。現在の株式市場、為替市場は、極端にギャンブル化が進み、ちょっとした徴候に過剰に反応して、未来を先取りして多くの投資家が雪崩をうって一方向に進むという傾向があります。誰かが「ドル売り」に向かって動き出せば、みんながいっせいに売り、暴落が始まる。ケインズは「一国の資本の発展がカジノでの賭け事の副産物になったら、なにもかも始末に負えなくなる」と警告していますが、そのとおりのことがいま起きているのです。

「1ドル=50円時代」になると、資本主義社会そのものが大きく変わるパラダイム・シフトが起こると私は思います。

        ■天外伺朗てんげしろう(本名・土井利忠)氏='42年兵庫県生まれ、67歳。東工大卒業後'64年にソニー入社、エンジニアとしてデジタル・オーディオの研究・開発を手がけ、CDの開発・規格化に成功。ロボット犬「AIBO」の開発も主導した。ソニー取締役、上席常務などを務め、'06年に退社。

 現在は天外伺朗の筆名で、幅広く著作活動に携わり、経営塾を主宰している。脳科学者・茂木健一郎氏やサッカー日本代表・岡田武史監督らが私淑するカリスマ的な理論家である。新著『GNHへ ポスト資本主義の生き方とニッポン』(ビジネス社)ではデフレ不況下の新しい生き方、企業論を展開している。

  

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トップは賢者を装うな

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 高度成長期には、日本のサラリーマンは給料が安く、会社も勢いがあったから、どんどん研究開発費を注ぎ込んで革新的な製品を生み出すことができました。私はソニーでCDプレーヤーの開発に携わりましたが、当時のソニーは従業員もトップも遊び心に溢れた素晴らしい会社でした。

 ところがいま、日本の製造業は新興国の攻勢から会社を守るのに精一杯で、自力でイノベーション(技術革新)をすることができない。アメリカと同じように、日本でも製造業が衰退しはじめているように思うのです。

 '03年にソニーが減収減益を発表し、株価の急落を引き起こした「ソニーショック」がありました。その後もソニーの業績は苦闘を続けています。

 先ほども申し上げたとおり、以前のソニーは遊び心に溢れた会社でした。私自身、アメリカに出張に行ったときは必ず「ソニーハワイの視察」と称して必ず帰りにハワイに立ち寄ったものです(笑)。エンジニアたちは仕事もメチャクチャやっていましたが、皆でスキーに行ったり、悪ふざけをしたり、自由な雰囲気がありました。

 革新的な発想や商品は、そういう雰囲気の職場から生まれてくるのです。朝から晩まで毎日職場にしがみついていても、けっしていい結果は生まれない。登山やサーフィン用品を製造販売しているパタゴニアという会社がありますが、各地にある社屋は必ず海辺に作り、「いい波が来たらサーフィンに行こう!」というのが合い言葉です。

 そのとき、上司に「サーフィンに行ってもいいですか」と聞くのはダメな社員で、自分の仕事に責任を持っている社員はサーフィンに出掛けても、休日に出社したり徹夜したりしてきちんと成果を出す。なんでも上司の許可を求めるのは、自分で判断できない、自分の仕事に責任を持っていない証左なのです。

 ソニーが徐々に良い雰囲気を失いはじめたのは、'80年代の前半ころからでした。遊び心を失い、仕事以外はわき目も振らず、という態度を強制するようになっていきました。要するに自由度がなくなったのです。'90年代の中ごろからは成果主義が導入され、職場の雰囲気は最悪になり、もう誰も困難な技術イノベーションには取り組まない会社になってしまいました。

 井深いぶか(大)さんの時代はお湯のように熱い会社だったのに、いつの間にか水になっていた。ソニーから、なぜ「iPod」が生まれなかったか、とよく言われますが、それはこういう理由なのです。

 これはしかし、マネジメントの問題だけでなく、低賃金の東南アジアとの競争で余裕がなくなった結果であり、日本の産業界全体の問題でもあったのです。

 私が手がけていたヒューマノイド(人型)・ロボットの開発も、いつの間にか当時の出井(伸之)会長に事業をストップされてしまった。ヒューマノイド・ロボット開発は世界で日本が大幅に先んじていましたし、人工知能の技術は、AIBOの開発以来ソニーが世界で抜きんでていました。これは、ちょっと長い目で見れば、もの凄く可能性がある研究だった。

 私は出井会長に要求し、メールによる「公開討論」までしました。約100人の幹部社員がメールの内容を見られる形で、今後のソニーの事業展開について会長に質したのですが、結局役員を退任することになったんです。その後、優秀なエンジニア15名を率いてソニー・インテリジェンス・ダイナミクス研究所の所長になったのですが、彼らのなかにプロ級の腕前を持つミュージシャンや、多彩な趣味を持つ人たちが多くいたのは象徴的でした。仕事一本やりでなく、幅の広い感性を持つ人たちこそが、クリエイティブな研究ができるんです。

 日本を代表する製造業の会社であるトヨタでは、かつて奥田碩さんが社長をされているとき、こういうことがあったそうです。

 会議で新企画についての説明を聞いていた奥田社長は、

「……半分も分からんな。俺が全部分かるようだったら、こんな事業は必要ないんだから、これでいい。これでいってくれ」

 と言った。豊田章一郎会長(当時)も、

「なんで会社一の年寄りにこんなことを説明するんだ。俺が若いころは、こういうことは年寄りの目を盗んで勝手にやったもんだ」

 と言ってゴーサインを出した。若手に権限を与えることで、同時に責任感も生まれるんです。経営者が「賢者」を気取らず、「愚者の演出」ができるというのがマネジメントのポイントです。賢者を装うのは劣等感があるのを隠しているからで、逆に愚者の演出ができる人は、自分に自信があるのです。奥田社長も豊田会長も、後者のタイプでした。こういう会社は伸びる。

 会社も個人も、我を忘れて、脇目もふらず仕事に没頭する状態を、「フローに入る」と言います。現在のトヨタがどういう状態にあるのか、情報がないので分かりませんが、会社がどのくらい大きくなっても、良い経営者は、部下や会社をフローの状態にすることができるものです。

 今後、日本企業のトップたちがどのくらい「フローに入る」経営ができるかどうかで、日本の産業界の先行きは変わってくると思います。経営者も、社員も、1ドル=50円時代に備え、変わりはじめてもらいたい、と思います。

週刊現代 2009年11月4日号 「日本ハムファイターズ『燃える集団』はこう作られた」

1031日に開幕した日本シリーズ。本塁打、防御率などは巨人に分があり、多くの評論家も巨人有利としている。だが、数字では表れない部分にこそ、日本ハムの強さがあるのだ。
 

それは'01年からはじまった

「弱者が強者に勝つ野球」
「隙すきを見せないで、相手の隙を突ける野球」
 楽天・野村監督は日本ハムの野球をそう賞賛してきた。一流選手と呼べるのはダルビッシュ有と稲葉篤紀くらい。だが、1.5流が9人揃うことこそが強さの秘訣だと、球団関係者も口を揃える。一人に頼るのではなく、チーム(集団)として機能する。ここ4年で3度のリーグ優勝。今年も安定した力を発揮し、1031日から巨人と日本シリーズを戦っている。
 そんな日本ハムの強さを一言で表せば、“燃える集団”だ。
“燃える集団”とは、元ソニーの上席常務で、犬型ロボットAIBOなどの開発を主導した天外伺朗氏が提唱した次のような現象だ。
 個人それぞれが自発的に夢中になって仕事をしていると、突然スイッチが替わり、新しいアイデアが湯水のように湧くようになる。そして、どんな困難な局面でも必ず突破口が開かれる――。
 日本ハムが“燃える集団”に変わったのは偶然ではない。数年にわたる取り組みの末に、ようやく結実したものである。
 日本のメンタルコーチングの第一人者、福島大学人間発達文化学類教授・白石豊氏が語る。
「私は'01から'04年まで日本ハムのメンタルトレーニングを担当しました。いま一軍で活躍している選手たちが二軍にいた頃のことです。
 たとえば、感情のコントロールがうまくない選手は、ちょっとしたミスで落ち込んだり怒ったりする。それは試合の映像から読み取れるので、『これじゃあ、まずいよね』と話します。
 普通のコーチは、ミスをしたらそのミスを直そうとする。私の場合は、ミスをした前後、うまくいった前後には必ず信号が出ているので、悪い場合はそれを出さないように、いい場合はそれをもっと出すように、面談をしながら、電話で話しながら、時間をかけて地道に改善していくのです」
 心の中を見て、何が問題かを自覚できるようになるまで、白石教授は、一人一人の選手と時間をかけてメンタルを鍛えていったという。
 トレイ・ヒルマン前監督の下でヘッドコーチを務めた野球評論家・白井一幸氏もこう言う。
'01年に私が二軍監督になった時、『勝てるチームと勝てないチームの差は何か』を考え、意識の共有を徹底してやりました。就任前に米国に留学して一番感じたのは、『ヤンキースがなぜ強いのか』ということ。それは選手全員が世界一を目指しているからなんです。
 その点、当時の日本ハムは長い間優勝から遠ざかっていて、勝利に対して意識をフォーカスしていなかった。だからこそ、その意識は二軍時代から育てなければいけなかった。ですから、一番最初にやったのは、チームの勝利に貢献するという意識を徹底して植え付けることでした。
 実は、いまのレギュラークラスの田中賢介、森本稀哲ひちより、高橋信二、小谷野栄一、鶴岡慎也らは、二軍時代から徹底してそういうことをやってきているんです」
 その成果が顕著に表れたのが、CS第2ステージ第1戦だ。4点ビハインドで迎えた9回裏、稲葉のタイムリーで1点を返し、最後はスレッジが逆転満塁サヨナラホームランを放った。実は、この陰に4番の献身的なプレーが光っていた。
 3点差、1死1、2塁の場面。カウント2-1と追い込まれた高橋は、ファウルで粘って四球を選び、満塁のお膳立てをした。そのファウルも、最悪でもランナーを進塁させようとする一塁方向へのものだった。試合後、高橋は「つなぎの野球ができた」と語った。元日本ハムの野球評論家・芝草宇宙ひろし氏が振り返る。
「あれだけ野球を知っているメンバーですから、展開を読んでしまうところ。諦めてもおかしくありません。他のチームであれば、一人一人の打者にしつこさがなくなるんです。それが日本ハムは、『とにかく自分は絶対塁に出て後ろに回す』という意識が徹底している。
 賢介、森本、稲葉と単打で繋ぎ、高橋が四球を選んだ。4番ですから、あれだけヒットが続けば『自分も打ってやろう』となる。でも、出塁することの大切さを、高橋をはじめ全員がわかっているんです」
 1番に座る田中賢介の野球感も徹底したものだ。日本シリーズ出場を決めた第4戦の後、楽天・野村監督はこう言った。
「8回裏、ダメ押しが欲しい場面でカウント1−2から打つ気なく見逃した。あの姿勢だよ。自主的に待って出塁の可能性を広げる」
 1番打者ながら四球はリーグトップ。打率は3割を切ったが、出塁率は.373。塁に出るという役割を徹底してこなし続けた。
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怒らない、怒鳴らない

 実は、白石教授がメンタルトレーニングを行ったのは選手だけではない。コーチに対しても、だ。
「野球に限らず、日本のコーチは一般的に、指示、命令、恫喝型。怒鳴り散らし、問い詰め、命令するというやり方です。しかし、ヒルマンさんも白井君もヤンキースでコーチをやった経験から、『コーチが選手を怒鳴るのはよくない』という考えをもっていた。
 そこで私は、今でいうビジネスコーチングで使われているものを教えました。選手と対等にしゃべるような指導をしてもらうようにしました」(白石教授)
 白井氏が説明する。
「コーチングについてコーチたち全員で勉強し始めました。白石先生の話を聞き、本を読み、選手に対する声掛けはどうするかとか、どんな言葉を使うべきかなど、コーチ全員が意識を共有するようにしたんです。選手は、指導者のちょっとした言葉の使い方で心の動きがすごく変わる。だから、今までのような、猛練習を課して怒って教えるような指導法はやめました。選手は怒れば怒るほど萎縮するし、教えれば教えるほど受け身になって自分で考えなくなりますから。
 ただ、萎縮したミスをすれば怒ります。ミスを怒るのではなく、萎縮したことに対して厳しく叱責するわけです」
 
“意識の共有”こそが強さ

 メンタルトレーニングを開始した'01年は最下位。この指導法は内外からものすごいバッシングを浴びた。だが、成果と結果は同時には出ない。白井氏は、「今は苦しいが、ちゃんと続ければ日本一になれる」と当時から考えていたという。
 選手が自分で考える。けっして派手ではないが、そんなプロフェッショナルの集まり、それが日本ハムの野球だ。
「スレッジのホームランで大逆転したあの試合だけでなく、年間を通して繋がりのある打線で逆転劇を数々演じてきたんです。
 日本ハムは四球が多いチーム。早いカウントでは、ストライクを打つのではなく、自分のヒッティングゾーン、打つべき球をしっかり狙いを定めて、そこに来た球に対しては積極的にスイングし、来なかったら見送る。同じストライクでも、自分のヒッティングゾーンではない球を見送ることは、積極的な見送りなんです。それは、打つべき球がしっかりわかっているということなんです。
 そして、2ストライクに追い込まれたら、球を呼び込んで逆方向に打ちながら、くさい球はファウルするということを徹底してやる。そう粘っていくと、次の打席にも繋がるし、次の打者にも繋がっていく。相手投手の球数は多くなり、次の打者に多くの情報も与えられる。その意識を全員が共有しているから繋がっていくんです」(白井氏)
 まさに、スレッジの逆転満塁本塁打を呼んだ高橋の四球が象徴的だ。
 ピッチャーにも同じことがいえる。先発陣は、ダルビッシュを除き、武田勝、糸数敬作、スウィーニー、藤井秀悟は、まず完投はない。そのため、中継ぎも初めからしっかり準備ができている。
「中継ぎに一番大事なのは、自分が出ていく場面がわかること。『なんでここで俺なの?』というようでは、すごくマイナスになってきます。日ハムの場合は、一人一人の選手が役割をわかっているので、『ここに合わせればいい』と、準備をしている」(芝草氏)
 今年のシーズン前は、5位、6位に挙げる評論家がほとんどだった。それはなぜか。白井氏が続ける。
「個々の力の足し算で考えるから。10点満点の選手が9人いれば合計は90点、8点の選手が9人だったら72点になる。でも、たとえ、選手一人一人の力が5点や6点のチームでも“意識の共有”があると、チームの力は足し算ではなく、掛け算になるんです」
 メンタルトレーニングの成果が現れ始めた'06年、日本一に輝いた。だが、新庄、小笠原、岡島が抜け、翌年は、チーム打率5位、防御率も1位ではなかった。それでもリーグ優勝を果たした。まさに“意識の共有”が生んだ本物の強さということだろう。
「バッティング練習から、ほかのチームとは違います。気持ちよく大きな打球を飛ばすのではなく、常に自分のタイミングの取り方、自分のスイングをできるように練習しています。
 CSの1戦目は、小谷野はノーヒットだったんですが、翌日ティバッティングをする彼を福良淳一ヘッド兼打撃コーチが後ろから見て、『今のはこうなっているぞ』とチェックをしていました。シーズン中から毎日そうなんです。賢介も福良さんが横で見て、打つポイントやタイミングを毎試合チェックしている。しつこいぐらいにやっていますから、試合になって生きてくるわけです」(芝草氏)
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「かけ算」のチームは強い

 実は、接戦に強いと言われる理由がここにある。白井氏が語る。
「我々は、練習では高い緊張感を選手に求めています。それが、試合になったら、ファイターズの選手はのびのびしている。試合は、運や実力など様々な要素が絡んできますから、結果に関してはまったく責めません。
 接戦になって緊迫した試合になればなるほど、プレッシャーがかかり、緊張する。緊張すると、失敗が許されないので慎重になり、普段と違う動きになり、ミスにつながる。
 そこで、日本ハムの選手は普段から慎重に練習をしているのです。だから、緊迫した場面でも、普段通り、慎重に丁寧にプレーすることができます」
 日本シリーズという短期決戦においてもっとも流れを変えてしまうのは、無駄な四球、野手のつまらないエラー、攻撃ではバントミス、走塁ミスだ。短期決戦では、当然、緊張感は高まる。日本ハムの勝機は、プレッシャーコントロールに優れている点にある。
「その準備を何年にもわたってやってきていますから。たとえば田中賢介は、どちらかというと、プレッシャーコントロールに優れていなかった。そこで二軍時代に、『日本シリーズで最後の打球が飛んできたらどう取るか』ということを徹底的にやった。両手で丁寧に取り、これ以上ないくらい慎重に丁寧に投げる。その意識付けを二軍時代からやり続け、いつでもできるようになったのです」(白井氏)
 こうした意識付けは投手にも効果的で、圧倒的に与四球の少ないチームになった。
 巨人との数字を比較してみると、本塁打や防御率など、わかりやすい数字は巨人が上回る。しかし、メンタルトレーニングの効果は一目瞭然だ。
 得点圏打率は、日本ハム・285(金子・360、糸井・333、高橋・326、田中・322、稲葉・305)、巨人・266。四球は、日本ハム444、巨人349。犠打は、日本ハム168、巨人114。失策は、日本ハム55、巨人84
 やるべきことが明確だからこそ、思い切りの良さが出るし、集中力が高まる。そして結果を残す。
「すごい選手がゴロゴロいるチームではありません。高卒で選手をとり、自前の選手にチームの勝利という哲学を植え付け、一人前に育てる。これは、これからのプロ野球界のモデルケースの一つになると思います」(白井氏)
 北海道に移転して6年で5回のプレーオフ進出。そして、3度目の日本シリーズ。“燃える集団”の隆盛はまだまだ続く。